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第96回

 写真の世界から大分遠ざかった俺なのだが、最近ようやく写真雑誌をチェックする気が起きてきた。昔々、例の偏屈師匠に「アサヒカメラなんてクズだ」と言われて以来全く読む気が起きなかったのだが、こうして写真関係と標榜するサイトを開設している以上、いいかげん見ておかなきゃ示しがつかないと思った次第。

 義務感に苛まれてそういう事をするのは本当に情けないことだし、あんな人間の言うことに未だに支配されているのは実にバカらしいことなのだが、マインドコントロール。俺はラボナール(※)を点滴されたわけでもないのにすっかり心のどこかをアレ(恍惚コラム第60回を参照)に握られている。殺意を覚えない日は未だにない・・・ってこんな事を書こうとしたわけではないのだった。久しぶりに見た写真雑誌の感想のお話。

 ん~・・・大きく出てしまったのだが・・・まだじっくり見つめることが出来ないのだった。以前はそのコーナーに近づく事も出来なかった俺がこういう事を言い始めただけでもかなりの進歩だと思って戴きたい。俺がよく行くパソコン関連雑誌のコーナーと写真雑誌のコーナーはなぜかどこの書店でも隣り合っているものだけれど、以前はそれを見ただけで書店に近づくのが憚られたくらいなのだ。んでもって、昔は発売日には必ず買っていた雑誌群の表紙を見るともう・・・哀しみとも憤りとも違う感情が襲ってきて、それからしばらくの間は暗澹とした気持ちになってしまうのだ。今まで俺がしてきた事を俺自身が一回否定してしまったものだから、この自分の中の確執はかなりハードだ。辛うじてゼンザブロニカのレンジファインダーの645の広告を見ることは出来たが。

 写真を撮るからにはプロでなければならないと思ってきた俺の矜恃。
 そういう大学を出たからには写真以外で食うわけにはゆかないという義務感。
 あまりにも昔、目立ちすぎてしまった故の後悔。

 「写真部部長はカメラマンになれない」、と俺はアレに言われた事がある。俺の大学の先輩の某氏も専属ではないがアレに師事していた事があったのだが、やはり今では別の仕事をしている(読んでますか~、S先輩)。何でも写真部部長は写真に対して自信がありすぎて、大学や専門学校での専門教育をナメてしまって、その道で成就出来なくなるということらしかったが、俺の場合にもそれは現実のものとなってしまった。

 しかし、だからこそ俺は今、むしろ全く無心な状態で写真を見たり、批評できたり、機材に対する執着心抜きにカメラを使えるのかもしれない。いや、もう昔は何が何でも高級なカメラに高いレンズを付けなきゃなどと思ってたものだけれど、今ではただ一眼レフだというだけでちゃんと使える様な気がするし、記念写真の大事さ(テクニック抜きに)を再びしみじみと感じたり出来るのだ。

 ここをきちんとした写真サイトにするにはもう少しの時間がかかるかも知れないが、ゆくゆくは16才や17才の頃の気持ちになって出直したいと思っているので、もしそうしたことを期待している方が居られれば、もう少しお待ちいただきたいと思うのである。

(※ラボナール) 田辺製薬の製品名で、物質名は「チオペンタールナトリウム」。全身麻酔の導入や、精神科領域の電撃療法や麻酔インタビューなどに用いられる薬剤で、これを用いた昏睡状態では人を信じ込ませる事が出来るらしい。オウム真理教の「サティアン」の裏からこの薬品の瓶が大量に発見されたことはつとに有名。おそらく宗教的儀式に使われていたのであろう。




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