第60回

 ほとぼりも冷めてきたところで、こんな文章は如何??やっぱり人のいやがる仕事が出来る奴が、いちばん、偉い。

 私こと○○××は、1998年2月に東京都△△区☆☆☆在住のフリーカメラマン・@@##氏(以下「氏」と称する)の下で働き始めることとなった。元はといえば私が大学卒業にあたって何処にも就職が決まらなかったのがきっかけで、氏もそれならば、と言って使われる事になったのである。しかし私の口からはっきりと使って欲しい、と言った事はなく、私は一抹の疑問を感じつつも当面の生活のためにと始めたのである。積極的な意志を持てぬまま、ただ彼の言うままに従ってしまったのだった。
 氏と知り合ったのは私が大学生の時に東京都中央区銀座の出版社「*******(以下*社)」でカメラマンアシスタントのアルバイトをしていた時の事である。1994年5月頃の事だ。そのアルバイトと言うのは*社の各編集部専属のもので、その編集部に関する撮影の際には無償でカメラマン(社員・フリーランスを問わず)に貸し出されていたものなのであるが、フリーカメラマンという仕事の性格上他社の仕事をすることも多く、その際にも私は使われていた。当然その場合は*社とは関係のない仕事なので報酬は私に現金で支払われたのだが、不当に安いものだと周囲のアルバイトの同僚も語っていた。(他のアルバイトも同様に使っていた)まあその金額について私はとやかく言うつもりはないのであるが、本格的に専従者として付いた場合にも安いのだろうな、と予感させるものであった。
 私を雇用するに当たって氏は、口頭ではあるが「12万円は払う」と1998年1月に語った。「その上に週末にアルバイトでもすれば月収20万は行くだろう。20万も貰うアシスタントなんて普通居ないぞ」とも語った。私はその言葉を信じ、同年2月1日から勤務することを約束した。(実際には1月中旬から、実質的に大学の授業が無かったので日雇いという形で勤務していた)
 しかし、氏は同年2月及び3月分の給与は「まだ社会人ではないのだから」という名目で9万円前後しか支払わなかった。領収書まで書かされたのでこの点については証拠が残っているものと思われる。だがその時点でそのまま受け取ってしまった自分にも非はあるだろうと思う。
 その後、2月から本格的に従事することとなったのだが、結局最後まで毎月の給与は10万〜11万円の間であった。というのも氏及びその妻が私の働き振りを見てその月の給与を決定していたからである。何かをミスするたびに1000円引きという風に、私の同意を得ぬままに決定されていたのであった。私は逆らえる立場ではなかったのでそれに甘んじてしまったのである。「その方がやる気が出るだろう」と氏はいつも語っていたのだが、私は逆に生活に対する不安を抱いてしまった。ちなみに氏は事務所等は持っておらず、私は氏の自宅、もしくは撮影の現場に直行、という形態で従事していた。また1月あたりの勤務日数についてであるが、平均して18〜23日の間であった。勤務時間に関してはその日によってまちまちで、それこそ午後1時から5時までで終わることもあれば朝9時から夜9時という時もあった。
 また或るときには念書も書かされた。「この仕事に於いて何が起こっても当方(氏)は一切責任は負いません」との旨だった。「まあ形だけだ」と氏は言っていた。実際に私の前に使われていた男性(辞職時22歳)は病気持ちで、突然来ない日があったと思ったら前の晩にマンションのエレベータで倒れていて、その翌日にその彼の母親が病院から「現在入院しているので暫く休ませてくれ」との電話をしてきたそうなのである。私にもそういう事が起こっては困る、という意味であったのだろう。しかしその一件やその彼の虚言癖のせいで氏は彼の事を全く信用しておらず、私にもその話を始終聞かせた。そして私が何か要領の悪いことをすると「○○(彼の名前)!」と呼びかけ、私は精神的なストレスを感じた。自分も仕事が出来ないと次のアシスタントにこのように語り継がれてしまうのだろうかと思うとかえってやる気をそがれた。
 氏はこれまでに専従のアシスタントを3名使ってきた(私を除く)そうだが、1名は家庭の事情で半年程度で辞職し、残りの2名は氏が「出来ない」と判断して共に半年で解雇したそうだ。
 それから1年間の間は私もそれなりに努力して、氏との信頼関係も大分良好になったと思っていたのだが、2年目に入るとなれ合いからか、氏はあまり語らずに私を動かそうとした。また、結局口を出さずにはいられないのにも拘らず私に対して「自分で考えて動く」ことを強制した。それでいて氏の思い通りにならないときには氏の自家用車内で数時間にわたって恫喝したり、その場で手を上げられるのが常であった。
 そういった諸々の事があり、氏への信頼を失ってやる気を失った私を見て氏は「アシスタントの癖に結婚なんかしてるからいけない(仕事が出来ない)んだ」と常に語った。妻は大学卒業と同時に都内&%$@町の現像所に正社員として勤務していたのだが、都合により1998年11月に退社している。それを聞いた氏は「そんな女はカメラマンの妻失格だ」とか、「そんな女の面倒を見ながら出来る仕事ではない」と事あるごとに言っていた。婚姻は当人同士の同意の上でのみ成立するものであるのに「別れろ」「いつ別れるんだ」「もうそろそろか」と毎日のように言われ、私はもう洗脳されかけた。確かに氏に対して(妻への)愚痴をこぼした事もあったが、そういった(別れたいという)意志は全く含まれていなかったのである。氏は自分が22歳前後でフリーランスカメラマンになる事が出来たのは氏の妻がきちんと働いていたおかげだったといつも語っていた。氏の妻はかなり病弱で、その体を推して実際、若いころから36歳になる現在まで勤勉に働いて来たのだそうだ。入院するとかしないとかという話は日常茶飯事で、その度にそのフラストレーションを私の妻に転嫁させて来たのである。「お前の嫁は若くて元気な癖に働かないなんて狂ってる」などと。私の妻はその退職後アルバイトを始めたのだが、氏は「アルバイトなんて甘い」「正社員でなければ駄目だ」などと言い続けていた。またその事をわざわざ撮影に同伴するライター等のスタッフにも触れ回り、彼の意図する返事(○○君、奥さんにもちゃんと働いてもらわなければ・・・等)を得ては嬉々としていた。職業選択の自由の精神にもとる行為である。氏は、自身の払う給与が安いと分かっていたからこういった発言に及んだのであろう。
 また、私の門地についてこんな発言もあった。「お前の実家って川の側なんだろ・・・そういう所に住んでるのは河原者って言うんだ」これは昨年、1999年の夏場の発言だったと思うのだが、私はこの発言ですっかり氏への信用を失った。実際に私がそうした被差別部落の出身であるかどうかは知らないし、また確かめる気もないのであるが、もし実際にそうした部落の出身の方がこれを聞いたらどうなることだろうかと、私は色を失った。この他にも単純労働者を指して「奴等は頭が悪いからあんな仕事をしている」とか、「お前もちゃんと仕事をしないとホームレスになるぞ」といった非常に差別的な発言を幾度も聞かされて、私は彼に対する嫌悪感を持つに至った。また、氏の自家用車はメルセデス・ベンツのE320ステーションワゴンなのであるが、これを指して私の実家の国産大衆車を馬鹿にしたり、「悔しかったら30歳までに家を建ててみろ」など(氏は実際にそうした)と自分の経済的成功を誇示してきたりと、常識ある成年男性とは思えない発言は常であった。どこで聞き及んだかは知らないが「世界はIQ140以上の人間が動かしている。自分は昔その位のIQがあると知能検査の結果分かった。お前(筆者)は駄目だろう」などと言われた時にはもう失笑を禁じえなかった。
 暴力行為についてであるが、最初の1年間はほとんど無く、深刻になってきたのは2年目からである。これから書く暴力行為は全て1999年前半から2000年1月までに起きたものである。私の要領が悪いといえばそれまでなのであるが、少し氏の気に入らない部分があると主に頭部及び顔面を拳で殴打された。また、自分で手を下すのを嫌って私に「自分で殴れ」と命じた事もあった。それに応じて私が自らの顔面を殴ると、「まだ弱い」「そんなのが痛い筈ないだろう」と言われ、更に殴るように命じられた。また、同年秋ごろ彼の自家用車で都内X通りY交差点付近を走行中に私が思う通りに動かないという理由で恫喝していた氏は突然激昂し、その車を路肩に寄せて私に下車するように命じ、同地の路側帯において私の大腿部及び臀部をを何か叫びながら数回にわたって蹴った。これにより私は大腿部に痣(あざ)を残し、数日間歩行に支障を来した。また、1999年11月10日16時30分頃、東京都*&区内の&〜%$の撮影の際に、私は氏の写真機材を運んでおり、それを同店内における氏の指示した位置に置いたのだが、その位置では店内内観撮影において写真に映り込む恐れがあったため意見したところ、「俺が計算した位置に置いているのだから余計な口出しはするな」と言われ、頬を殴打され口内に傷を負った。まさに私は彼の要求するところの「自分で考えて動く」を実践したつもりであり、このような状況で余計なものが映り込んだ際には常に自分のせいにされていたのでそれを危惧して私は意見したのであったがかえって氏の逆鱗に触れてしまったようだった。同日23時15分から翌日1時25分まで氏は氏の自家用車内で私にその事について遺憾の念を述べ続け、当時+−区×÷町に在住していた私は終電車を逃してしまった。氏はそれを知りながら私に対して「歩いて帰って頭を冷やせ」と言い、私を氏の自宅前まで連れていってそこから帰るように命じた。私は歩いて帰らないと後日何を言われるか分からないのでその場では歩いて帰ると述べたのだが、実際は疲労困憊の為そこから400メートル程歩いた??街道でタクシーを拾って帰宅した。3260円の出費を強いられた。このような調子で素直に帰らせてもらえない日が週に1〜2度はあり(大体は終電車を逃さずに済んだが)、また暴力を振るわれるのもそれと同じくらいの頻度であったため、私は次第に仕事に出る事に対して恐怖感を抱くようになっていった。しかし氏は機嫌のいい日にはそういった行為に及ばなかったため、私は自分をだましだまし仕事を続けてしまった。
 結局、アルバイトで知りあった関係上、馴れ合いになってしまうのは宿命であったと思う。そこで私は1999年夏に「この仕事はお互いのために良くないので辞めさせて欲しい」旨を口頭で伝えた。それに対する氏の返事は「お前(筆者)のやる気次第だ」との事だった。確かにどのような人を師匠に持ってもその道で成功するのは本人のやる気次第だという事は自明なのだが、上に書いたような発言によって私は氏を嫌悪するようになっていたし、かといって度重なる暴力によって「辞めたらどうなるか分からない」という思いに駆られてしまっていた。はっきりと、毅然とした態度で辞意(あるいは仕事上の意見)を表明することに対して身の危険を感じたのである。何事に対しても(仕事も含め)積極的に出来なくなってしまっていた。
 氏は私が辞めたがっているのをうすうす感じてはいたようで、何か別の件で怒っている際に「今辞めたら何処の出版社にも出入りできないようにしてやる」と言った事もあった。私が辞める決断を出来なかったのはその発言の影響もある。
 1999年中ごろから、此の様な私の状況を見て妻はしきりに海外への長期旅行(逃亡)を勧めてきた。始めの頃は自分も「まあ何とかなるだろう」と思い、仕事を放り出して行く決心がつかなかったのであるが、次第にその仕事に対する猜疑心が大きくなり、また暴力を振るわれる事に対しても理不尽であるという思いが強くなったために、2000年1月に?><への1ヶ月滞在を手配するに至った。勿論この件は氏のみならず、周囲の知己にさえ秘密裏に行われた。私の卒業した大学(******)には写真の業界で仕事をしている人間が多く、私の知己にも*社に出入りしている人間がいたので万が一にもその計画が発覚するのを恐れたためである。話は前後するが氏は主に*社の仕事を請け負っている。
 そういう経緯を経て、私及び妻は2000年2月4日、成田空港より***7*便で?><に出国した。実際に私が氏について仕事をしたのは2000年1月30日までであった。私及び妻の両親には実質的に逃亡であることを伝えておいた。
 私の母、及び妻の父の話によれば、氏は同月5日前後から各々の実家の方に「連絡が取れずに困っている」旨の電話を掛け始め、「警察を呼んで中に入ってもらった」と述べたらしい。実際に当時居住していた////のアパートの大家の話によると、氏は警察官1名と氏の妻を伴って大家氏のもとを訪ね、「中で何か事故が起こっているかもしれない」との理由でその部屋の中に入れるよう要求したそうなのだが、大家氏は「あくまで他人の家なので入れることは出来ない」と断ったそうである。それならば、と警察官のみが中に入り、部屋もきちんと片づいているし、事件性はないと思われるのでこの話はここだけで止めておこうという結論になったそうだ。また大家氏は氏に対して「家賃も2ヶ月分納めてある」と告げたため、氏は完全に事故ではなく、自らの意志で旅行なりに出たと分かったという事である。
 その後、氏はその事実を元に再び私の実家の方に電話を掛けて来、「家賃も納めてあるし、部屋もきちんと片づいているようだが旅行にでも行ったのではないか。何か知っているのではないか」と述べたそうである。私はお互いの実家に事実の隠匿を予め依頼してあったので、私の母は「知らない」と述べたそうである。その後も何度かお互いの実家にそうした質問の電話が氏から掛かってきたそうなのであるが、最後には私の母に対して「???君或いは親御さんが辞める、と言うなら辞めさせます」と述べたそうである。これに対して母は「では辞めさせて下さい」と答えた。そしてそれを氏も承諾したそうだ。また、私の妻の実家の留守番電話には次のようなメッセージが残されていた。「辞めたことは気にしないでいいから、2人仲良くやってくれ」と。これが2月上旬までの出来事で、ひとまず事態は終息したかに見えた。実際、その後氏が連絡してくることはなかった。
 私及び妻が帰国したのは2000年3月5日なのだが、我々は氏の報復を恐れて成田空港より直接妻の実家に帰った。◇◇のアパートも3月15日をもって引き払い、暫くの間は2人とも互いの実家に身を寄せながら新居と職を探す日々だった。しかし3月20日前後に妻の実家にその大家氏から電話が入り、彼女の話によれば「@@という、この間の男の人が電話をしてきて『まだ帰ってきていないか』『貸した本を返してもらっていない』『何度も見に来ているのだが居る気配がない』と言ってきたので、私は『もう引っ越してしまったし、次の行き先も教えてくれなかった』と伝えておいた。」との事だった。実際には大家氏は我々が各々の実家にいることを知りながら我々のために隠してくれたのである。
 その後、本日に至るまで全く動きはないのであるが、辞めることを承諾したにもかかわらず未だに探しているらしいのが恐ろしく、落ち着いて生活できない状態が続いている。

以上の点を踏まえて、私が氏に要求したいことは以下の通りである。

・私は氏の暴力及び差別的発言に嫌気がさして辞めたのであり、再び会うことに恐怖を感じている。
・謝罪は求めないが、二度と連絡あるいは訪問しないで欲しい。
・辞めさせる事を承諾したにもかかわらず捜し回るのは承諾していないことと同義ではないか。もう探さないで欲しい。
・もし連絡或いは訪問してきた際に違法行為があれば直ちに警察に通報する。



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