恍惚コラム...

第406回

 (前回のつづき)その後も、打ち続く休日出勤を早上がりしては不動産屋めぐりを続ける日々。前回述べたリノベーション物件へのあこがれもあり、俺たちはある午後、浅草橋周辺の不動産屋を見てまわることにした。御茶ノ水駅から2駅という便利な立地にもかかわらず、ここ浅草橋にはなかなかリーズナブルな物件が揃っている。駅から少し歩くことさえ厭わず、そして築年数を気にしなければ10万円前後の物件が意外と揃っていた。
 だが、俺はその条件に魅力を感じつつも、実際に不動産屋の敷居をまたぐことはなかった。なぜなら、妻には言わなかったがJR、とくに総武線を使うのが(沿線の皆様には申し訳ないが)イヤだったからである。総武線といえば、避けて通れないのが遅延。最悪会社まで歩くなりすればよいのだが、勤め先の人々がしょっちゅう遅れて来るのを見ていると、わざわざその渦中に踏み入れることもないかと思ったのである。行き帰りにやたら一緒になるのもどうかと思ったし……。
 そして俺たちはそのまま歩きつづけ、秋葉原へと至った。秋葉原駅の昭和通り口周辺には数件の不動産屋がある。そこに張り出されたビラの多くは事務所向けの物件なのだが、そこに1つだけ「秋葉原駅徒歩5分 10万円」の物件を発見。これはおいしそうだと思ったのだが、あいにく店自体は閉まっていたため、そのビラに書かれた住所を手がかりに目の前まで行ってみることにした。
 ほとんど歩いたことのない秋葉原の裏通りを歩く。路地裏には昔ながらの工場なども多く、なかなか趣のある場所だった。木造住宅の軒先でランニング姿の老爺が孫と遊んでいたりして、普段のイメージが覆される。果たして、それらしきビルを見つけたのだったが、ポストに書かれた名前を見てみるとほとんど会社が入っている様子。本当に空き部屋があるのかも分からないまま、その物件の話はウヤムヤになってしまった(その後、その不動産屋に尋ねたかどうかも忘れてしまった……)。
 そして翌週である。さすがに数週間歩き続けで、自力でいい部屋を探すのは難しいことを悟った俺たちは大手(っぽい)不動産屋の門をたたくことにした。秋葉原の、つくばエクスプレスの入り口のところにあるビルの最上階にある不動産屋といえばお分かりになる読者諸兄もおられるかもしれない。
 秋葉原の街が一望できるオフィスに入ると、そこにはいくつものガラス板で仕切られた長いカウンターがあった。そこで応対してくれたのは年若き兄貴。そして俺たちは、これまでの経緯と希望する条件を兄貴にぶつけた。「会社から2〜30分以内で」「本郷、湯島、秋葉原、浅草橋あたりを希望」「家賃は10万円前後で」など……そう。読者諸兄はすっかりお忘れかもしれないが(俺もだが)、最初は本郷の奥の方の閑静な住宅地を狙っていた俺である。だが、話をすすめるにつれ、そしてすすめてくれる物件のチラシを見るにつれ、雲行きが怪しくなってくる。

 そもそも、本郷あたりには東京大学をはじめとする大学が数多くあり、安い賃貸物件もそれなりにあるだろうと踏んでいた俺たち。しかし、そういうモノもあるにはあるが、所詮大学生の一人暮らしを想定した物件なのでほとんどがワンルームなのである。街中にはあんなにマンションが建っているのに、1DK、あるいは2Kを借りようと思ったら13万、15万はあっという間に飛んでいく。仕方ない……そこで視点を春日や後楽園の方に移しても状況は似たようなもの。丸の内線沿線ということで茗荷谷や大塚という線も考えられたが、それでは今回の引っ越しの最大の目的である「会社からドアツードアで2〜30分」という野望がついえてしまう。しかも家賃を10万円程度にしろというのだから、兄貴もさぞや困ったに違いない。結果、俺たちはその兄貴の助言にしたがい、春日で2件、浅草橋で1件(2件だったかもしれない)の物件を見て廻ることにした。

 その翌週。ダイハツの軽自動車に乗せられた俺たちは先述の物件たちを春日方面からめぐった。いずれも相当年季の入ったアパートやマンションである。さいたま辺りで同じ金額を払ったらどんなところに住めるだろう? そんなことを考えながら部屋を見ていると、妻が妻なりの「譲れないポイント」を語りだした。曰く、「風呂場やトイレの床や壁がタイル張りでないこと」コレである。なぜなら、カビが生えるから……。そういえば、板橋区の古アパートや富士見市のヴィンテージ雑居ビルにいた頃はさんざん風呂場のカビに悩まされた記憶がある。さいたまのアパートは便器のついていないタイプのユニットバスだったので、その被害はかなり低く抑えられてきた。

 で。目の前にある物件(1件目を除く)はすべてタイル張り系。それも無理はない。なぜなら、そのほとんどが築20年オーバーだったのだから……。「もう少し予算をアップしてみないか」と言う妻に対し、「12万も13万も払うなら、最初からマンションを買うわ!」と不機嫌になる俺。いかん。この険悪なムードを打破しなければ……。そんな俺たちに、兄貴は隠し球を提示してきた。(次回に続く)


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