第37回
第36回の続き)そういえば、当時のNECのイメージキャラクターは斉藤由貴だったんですわ。皆さん覚えていらっしゃるだろうか。富士通は南野陽子だったかなあ・・・。沖電気のCMが、キーボードを叩きながら「パコパコ、しましょ☆☆」などと言って俺達童貞ボーイの官能を揺さぶったのはもう少し後だったっけ・・・。まあ、てなわけで、こんな所からも時代を感じてしまうのである。そういやPC8801シリーズも始めの頃は武田鉄矢がCM出てたっけ。6001とかも。ウーム。どうも最近のパソコンのCMはオシャレすぎてピンと来ないんである。第一、あの「ボタン一つで…」といった類のCMはヤバイと思うぞ。昔のパソコンには使うに当たってそれなりの覚悟が必要だった。ことによっては自分でプログラムが書けないと使えなかったんだから・・・。いくら時代が変わっても、コンピュータというのは2進法の計算機なんだよ。その本質的には変わっていない機械を、いくら外見でごまかしたところでトラブルは起きるものだし、あのボタンって(ブラウザ・メール)ソフトを入れ換えたりしてもちゃんと対応してくれるんだろうか?まあ多分設定ソフトなんかがあるんだろうけど、「ボタン一つ」の覚悟しかないユーザーにそんな芸当が出来るのだろうか?それではユーザーサポートへのコールが激増して、自分で自分の首を絞める結果になるんではないか、と思うのだが余計なお世話だろうか。まあね、パソコンも商品だから売らなきゃならないし、インターネットを使う人が増えれば増えるほどそのインフラも整備されて行くから嬉しいんだけど。
 閑話休題。PC−88VAの話だった。失禁させられた(!)話までだったわね。
 そうなんである。俺はそのVAの革新的かつ最新かつソフィスティケイティッドなスペック及び外観に感動しまくったのだった。CPUは88の掟破りの16ビットだった(V30だっけ?)し、当時8色出ればいいとこだったグラフィックも数千色可能だったし、何だか独自の規格の大容量フロッピーディスクも搭載されていた。(コレはこのマシンにしか搭載されず、不発に終わったんだ・・・)普通の「88」のキーボードには「PC−8801」と書いてあったにもかかわらず、コイツには「PC−88」までだったのも、何か違うんだというゴージャス感があった。
 しかし、そいつはプログラムなんか面倒くさいぜ!!という根っからのゲーマーだったので、俺は「あ〜あのスペックでBASIC動かしてぇ〜!!漢字表示最高!!」と思いながらも、だんだん彼の家に通う事をしなくなってしまった。今でもそうなのだが、俺はあまりゲームをしない。コンシューマー向けゲーム機(プレステとかね)もまともに買ったことはないし、きちんとパッケージに入ったゲームソフトも、例のPC−88FHと一緒に買った「イース」のみ。友人(Sy)には珍しがられるのだが、これが性分なのだから仕方がない。コンピュータを使うからには、自分で何か作らなくてはという思いがあるのである。
 最近のパソコンには、言語が付いて来ない。もう当たり前のようになってしまったのだが、昔のパソコンには必ずBASICが付いてきたものだ。それが今ではBASICを使おうとしたら別に何万円も払わねばならない。これは由々しき事態ですぞ。まあBASIC自体も進化して、なかなかパソコンと一緒にハイどうぞ、ってな訳には行かなくなっているのだとは思うが、ちょっとは考えて欲しいものなのである。昔はROMに入ってたんだからさぁー。
 ココまでは小学6年生位までの話。俺は細々とPC−8801FHを中学2年生位の頃まで使い続けた。ピーコさせて貰った「Super大戦略」にハマって友人たちと半日近くプレイし続けたり、懐かしのワープロソフト「ユーカラアート」で謎の怪新聞「根暗新聞」を作ったり、結構な蜜月時代を送った。しかし、俺は中学3年生になって新しい趣味に遭遇してしまったのである。それが写真。おかげでそれ以来すっかりパソコンとは遠ざかってしまったのである・・・。
う〜ん、流れ上、来週からはカメラ遍歴かなあ??



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