(第32回からの続き)
翔鷺祭を語る上で欠かせないのはやはりOBの存在であろう。別に翔鷺祭でなくても頻繁に高校を訪れるOBたちは、この日とばかりに大挙して高校に襲来するのである。
OBの間では翔鷺祭が近付くにつれ日に日に緊張と興奮が高まり、電話や回状、はたまたEメールが頻繁にやり取りされ、中には一般公開される前から部室に押し入るといった暴挙を働く輩まで出る始末。これは写真部のOBの話ではないのだけれども、某生物部OBが翔鷺祭前日から校内で飲み会を催し、当日には合宿棟で二日酔いに喘ぐといったこともあったなあ・・・懐かしいっていうかその彼は毎年毎年俺に電話をかけてきてその飲み会に誘うのである。仕事の関係上まだ出席したことはないのだがとにかく壮絶らしい。行きてえなあ・・・。ま、それはさておき、OBである。
俺が現役高校生だった頃は、よく2代目とか3代目のOBが来ていたものだった(俺自身は7代目)。写真部のアルバムでしか見たことのない男達が眼前に現れる不思議。だが、現在(当時ね)の部室で、彼らが部活動をしていたと思うと、初対面の彼らにも親近感が湧いたものだ。一緒に在籍していた先輩から彼らの噂を既に聞いていたこともあり、俺はそのOBの皆さんといろいろな話をしたものだ。そういえば、4×5は「シノゴ」と読むのだと教えてくれたのも、当時写真の専門学校に通っていたあるOB氏だった。写真の雑誌を見る度に、「ヨン・カケル・ゴ」と読んでいた俺が恥ずかしくなったのを覚えている。
そのOBたちは翔鷺祭に来るたびに沢山のポラロイド写真を残した。これは今でも部室のアルバムに貼ってあるのだが、当時の翔鷺祭の様子がよく伝わってくる逸品揃いなのだ。久下戸の田んぼでドリフト走行の果てに用水路(?)にはまった写真やら、たわいもないセルフポートレートやらで、一見下らない写真なのだが写真部の歴史を確実に刻んでいる。当時の現役部員はそのためにポラロイドのフィルムを用意するのが努めだったのであるな。これがまた高いんだ。でもまあそれを見越した予算が組んであったんだけどね。何だかOBの為に翔鷺祭をやっている様な気がしたものだな。それがまた良かったんだけど。
で、極め付けはOB主催による翔鷺祭アフターのお食事会&ボウリング大会。この頃のOBは羽振りが良くて、参加した現役生徒は殆ど金を払わずに済んだんだなコレが。もうアゴアシ付き。今、俺がOBになって思うに、当時のOBの皆様には本当に迷惑をかけたなと・・・。だってちゃんとファミレスで飯を食わせてくれて、さらにボウリング代まで払ってくれたんだもんなぁ。まあ当時は現在に比べて参加する現役生徒の数が少なかったって事もあるんだろうが、偉いわあ。社会人やってる人が多かったってのもあるしね。今翔鷺祭に来るOBの連中ってフリーターとか浮き草人生とか大学生ばっかりで経済力ないものなぁ。(7代目から10代目くらいのオマエらだ!!オマエら>俺もだろ<バカタレ>すんません。)ちゃんと社会人やってる初代〜6代目の方々の参加が年々少なくなってきているのは由々しき事態ですぞ。
写真部では毎年OBに対して翔鷺祭の招待状を送るのが義務づけられているのだが、これが「宛先不明」で戻って来てしまうケースが年々増えている。また、仕事で地方に行ってしまっているOBの方々も数多い。いきおい参加できるOBは若年化の一途をたどっているわけなのだが、これではいかんよな。一応「OB会」が組織されているんだから、それを活性化させなきゃいけまへん。
今年は何だかOBパワーが不完全燃焼だったよなあ。あの伝説のK上先輩が数年ぶりに登場したのは快挙だった!けど。来年は盛り上げるぞ!!
来週は高校写真の話がしたいわよね。
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