第90回

 「カレンダーフィルム」という言葉がある。これは写真をあまり撮らない人が年に1本のフィルムしか使わずに春夏秋冬の全ての行事を記録してしまう、という意味なのだが、近頃の俺はこの言葉を「まさか」と思っていた昔の俺を全く責めることが出来ない。まあフィルムを1年中詰めっぱなし、という事は流石にしないけれども、季節の変わり目にしかカメラを取り出さないという点では大差ないのだ。

 ここまで来ると、俺の昔の発言の中にも撤回しなければならないものが数多く出てくる。月に何本撮れだとか言った俺の言葉を真に受けてしまった人(万一居るとすれば)には心からお詫びを申し上げなければならない。また、そのような文言がこのサイトの何処かにも載っているかもしれないが、そこはあまりシリアスに読まれないようにお願いしたいんである。

 昔々のその昔…確かもう7年くらい前になるかと思うが、俺は「アサヒカメラ」の定例フォトコンテストの入賞作品のキャプションの中にこんな言葉を見つけたのだった。選者の言葉である。
 「ある事がきっかけで1年余りの間カメラを触れなかったという作者が再び作品を投稿してきた・・・・」
 確かこんな感じだったと思う。当時の俺は写真熱の中のまさにまっ只中に居たから、その「ある事」を全く想像できなかった。写真を撮れなくなるという事が恐かったから、俺はそれについて何日間も考えまくったのだが、結局駄目だった。俺の想像力の貧しさと言ってしまえばそれまでなのだが、まあそれだけ当時の俺が熱かったと思って戴きたいんである。

 それから7年後。まさに俺にその時代がやって来た。俺はこの状態を7年前の俺にどのように説明してやればいいだろうか?

 「写真とはあくまで漠然とした、
  どんな用にも供せる科学で、技術で、そして芸術だ。

  科学がお前に飯を食わせてくれるかもしれないし、
  技術がお前に飯を食わせてくれるかもしれない。
  それとも芸術がお前に飯を食わせてくれるかもしれないが、

  芸術は職業にした途端に潰える。・・・」

 ・・・いやこんなのでは駄目だ。

 「親は選べないけれど師匠は選べる。
  くれぐれも達者でな・・・・。」

 ・・・まだまだイマイチですな。

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
  職人の世界なんだからちゃんとした先生に付きなさい・・・。」

 ・・・これもあからさますぎて下品だな。

 「長いものには巻かれよ・・・。」

 ・・・最悪だ。

 「俺は嫌いな人種に写真を語られてしまって、
  そんな人種と同じ仕事をしているのが嫌になっただけだ。
  だから写真を捨てた訳ではないけれど、
  そいつの商売道具を握り、そいつと同じ用語を遣い、
  その写真の何が金を稼ぐのか分からないような商売をするのが嫌になっただけだ。」

 これだ。これぐらいの台詞なら7年前の俺に説明が出来る筈だ。

 まあ、当時そんな事を言われても絶対に理解できなかったと思うが。



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