勤めてる会社の社長に「スピーチがあるから原稿を書いてくれ」と頼まれたのよ、先々週に。んでもって忙しさにかまけ放って置いたら締め切りが明日だよ明日。つーかさ、自分で書こうよ>社長。それにしても俺も社長だからその上の社長は何て呼べばいいのかしら??やっぱ大社長??そんなコトはど〜でもいいや。
今朝は6時前に起きて仕事に行って、9時過ぎに帰ってきてそのままそのスピーチのネタを考えてから昼飯食って起きたらもう17時よ。そんなわけで今週は俺渾身の、経営者としての(?)スピーチっぷりを読んでいただきたい(<読みたくねーよ>俺)。でもこれだけ書けるんだからいつでも経済同友会の会合とか出れますぜ>エクスタシーブックス。今週はホントにあんまし面白くないっすけど勘弁して下され・・・。もう先週初めから毎日4時とか5時起きで、1日11時間くらい働いてるんだよぅ・・・。でも俺ってパートで時給1000円だからものすごい給料になるぞ・・・しあさってあたり給料日なんだけど、ヘタな社員よりよっぽどもらえるハズさ・・・。そしたらカミさんにバレないようにHDとかメモリーとかを増設していきたい!!内蔵式のものならバレなくていい感じかもよ!!ではまた来週!!
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企業の経営の上では勿論のこと、われわれは生きていく上で様々な困難に直面する。その時、われわれは、その障害となって立ちはだかる目先の敵、その相手を憎むべき敵だと解釈してはばからない。しかし、これが間違いである。目先の敵は決して本当の敵ではない。今、目の前に立ちはだかる障害そのものは決して、憎むべき敵ではない。その点に気づく必要がある。それでは本当の敵はどこにいるのか。言い古されたことではあるが、それは実は自分自身である。本当の敵は、目の前の敵ではなく自分であり、普段、自分では決して気づかない自分、そこに本当の敵がいる。そこに気づく賢明な人間だけが、今、目の前に居る敵を倒すことが出来る。実際に立ちはだかる障害を見事に取り除くことが出来るのである。
若くして目標を掲げ、理想に燃えてこの人生を意気揚々とスタ−トしたはず…青年の多くが、志と相違した挫折の人生を無為に送る場合が少なくないのも、ひとえにこの事実を越えた真実の道理に気づかないことから引き起こされる悲劇にほかならない。
今、世間では会社を倒産させる社長が引きも切らない。その中で一番多いタイプは、自分の経営上の失敗の責任を政治のせいにしたり、はたまた社員のせいにしたりと、もっぱら自分の責任を他に転嫁して、自分を正当化してしまう経営者である。しかし、よくよく考えると、これは誰も気づくことであるが、当事者はなかなかこの点の認識を自分のものとはしにくいのである。
時代の変化を読み切れずに経営に失敗する人が、これから益々増えてくることは目に見えている。時代のニ−ズに対応できないで倒産の憂き目を見る人が驚くほどの多数になるということは疑う余地がない。
しかし、それらの人においても先と同様、時代の変化そのものが敵であるのではない。変化を読みとる眼力を備えていない本人が問題の敵なのである。時代のニ−ズに対応できない人も同じこと、時代のニ−ズの変化が敵ではなく、そのニ−ズを的確に把握することの出来ないご本人、当事者に問題があるのだと把えなくてはいけない。つまり、私は会社の敵は会社の中にあり、組織の敵は組織の中にあるものと、どんな場合においても断定してさしつかえないものと思うのである。そして最大の敵はわれわれ経営者自身の内にあると。
あえてそのように常に自己を厳しく把えて、追い込む姿勢が経営者や幹部の価値観として確立されていなくてはいけないと考える。
われわれ経営者は、会社を発展させるのも、倒産させるのも結局すべては自分次第だと常に考えていなくてはいけないと思う。
会社についての様々な問題、組織についての種々の問題について、常に厳しい追究を心掛ける一方で、自分自身の会社に対する考え方のスタンスや価値観にはじまる経営者自体の精神構造、そこに端を発する日々の行動形式まで油断なく厳しく反省しつづけなくてはいけないのである。
ところで、「反省」をするためには素直な気持ちが何よりも大切である。反省しようにも内なる敵が自らを正当化させてしまうようではお話にならない。様々な個性を持った従業員を雇用して、直接目に見えるところで働いてもらうわれわれ中小企業の経営者は特にニュートラルな心境をもって社内をまとめ、全社一丸となって前進してゆかねばならないのである。様々な事柄をひとまずは清濁併せ飲み、素直に実行と反省を繰り返すのがわれわれ中小企業家のあるべき姿であると私は考える。何よりも「素直」―この単純な言葉こそが経営者や幹部、あるいは従業員に必要な資質なのではないだろうか。経営者としてもっとも求められる人間的資質がこの素直さであることを経営者は真先に認めなくてはいけない。なぜか、人間は素直になった時だけ、はじめて物事のありのままを率直に認識することが出来、素直に対象物を観察して把えることができるのである。それは自分自身を対象にして、自分を把えた時でも同じこととなる。
素直に自分を見つめ、素直に自分を振り返るから、自分のありのままが、ありのまま見えてくるのである。もし自分が素直ではなく、何ものにかとらわれていたとしたら、これは我執となってありのままの自分が見えなくなる。また見たくはない意識にとらわれ、そこに偽りの自己を見てしまうことにもなって、自分で自分のしていることを正しく評価できない結果を招くことにもなる。あるいは働く人たちを迷わせる原因にもなってしまう。
会社組織とはあくまで営利を追求する集団であり、利益があがっている限り会社として存続出来るものではあるが、働く人たちが経営者の「とらわれ」を感じてしまったらどうなることだろうか。経営者が自分を評価するということは、ひいては従業員の質の向上をも促せるものであると私は信じる。
それではどうすれば一体、この自分自身へのとらわれから脱却できるのか。いかにすれば素直な自分を大切にすることが出来るのであるか。
その鍵が「自己観照」である。「自己観照」とは、いわば自分の心をいったん外に出して、その出した心を自分自身が客観的に観察するという意味である。
昔から”山に入るものは山を見ず”と言うが、たしかに山の中に入りすぎると山の全景が、いつまで経っても見えてこない。山の中に入れば色々な草木と自然に包まれる。それらはたしかに山の一部ではある。しかし、それらだけが山の姿のすべてではない。外から山を見るという事も必要である。
お互いに人間としての自分の心を率直に振り返る必要性を積極的に認め、且つ実行に移さなくてはいけないと言うことである。要するに、このような「自己観照」によって、自らのとらわれに気づき、これを正していくという謙虚な姿勢が限りなく求められることになる。
時代も社会も大きく変わろうとしている現代において、それでも自分の価値観を変えようとしない頑迷固陋な経営者や経営幹部がなんと多いことか。われわれは自分の価値観を毎年毎年、自ら進んで高め、深め、そしてよりたしかな内容に磨きをかけていかなくてはいけない。
自己啓発に関心を寄せ、自分の価値観の質を向上せしめて、時代の変化、どんな厳しい激変にも堪えることの出来る主体性のともなったしたたかな自分を創造していかなくてはならない。一層厳しい時代と変化に挑戦するために。
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(=_=;)誰だよコイツ。
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