第65回

  妻が一昨日拾ってきた子猫が昨日死んだ。何だかあっという間の出来事だったので情が移る暇もなく、残ったのは疲労感だけなのである。その夜遅くに帰ってきた俺は玄関先に小さな箱と、いたずらっぽく笑う妻を発見したのだったが、どうリアクションして良いか分からずその場に座り込んだのだった。まさか貸家住まいなのに猫を拾ってくるとはにわかには信じられなかったのである。しかし、俺はただ呆然としているわけにもゆかずに、その小さな段ボール箱の蓋を開いてみたのだった。果たしてその―体長20センチくらいの―子猫はうずくまって静かに呼吸していた。俺が蓋を開けて、外の光が箱の中に差し込んだにもかかわらず、彼は微動だにしなかったのである。俺はその時点で「もう長くはないかも知れない」と思ったのだったが妻には何も言わなかった。幾年も前からこうして子猫を拾うことを心待ちにしていた妻の念願がようやく叶った日だったのである。様々な要因が重なって鬱々としている近ごろの妻にとって彼との出会いは砂漠でオアシスに出会うような事だったろう。事実、妻は俺に晩メシさえろくに用意してくれなかったのだったが、その顔には得も言われぬ充実感が見えた。
 その猫は電車で持ち帰られたままの小さな箱に押し込められていたので、俺は見かねてもっと大きな箱に入れてやれ、と妻に命じた。いつもなら素直に俺に従わない妻もこの時ばかりはいそいそと動き始めた。みかんの箱の底にはちぎった新聞紙。その隅には牛乳とオートミールの煮物。そして水。妻はその箱に猫を寝かせ、上から小さなモヘアの織物のひと切れを掛けると、即寝だした俺の傍らに来てその日一日の話を始めたのだった。雨の路地でうずくまる彼と出会った話。近づくと向こうもまた寄ってきて妻の靴の上に乗ってきて丸まった話。何かを食べさせてもすぐに下してしまうという話・・・。夫婦ともに猫好きなので、久方ぶりに俺たちは楽しく会話した。俺のその夜の記憶はそこまでなのである。
 昨日の朝は寝過ごした。会社集合が8時なのにもかかわらず、俺が起床したのは8時10分。時計を見つめてしばし呆然としたが、気を取り直してまずはその猫の段ボールの様子を見ることにしたのだった。すると―欠伸をしているかのような顔で、彼は死後硬直の最中にあった。俺はなるべく小さな声で、その臨終を妻に告げた。妻もまた大声を上げるでもなく、「あたしが洗ったから良くなかったのかしら」と自責の念を口にした。何度も何度も繰り返しそう言うので俺は妻の頭を撫でたり、当たり障りの無い慰めの言葉を掛けたりした。死ぬべくして死んだのだ、と少し言いかけたのだがそれはあまりにも冷酷だったろうか。俺も時間的に精一杯だったのでその猫の箱にテープで蓋をしてすぐに出かけてしまったのであった。妻が部屋の隅でうずくまっているのを見ながらドアを閉めるのは辛かったのだが、せっかく就いた仕事をふいにすることもまた、俺には出来ないのである。
 昨日の俺の仕事はワックス塗布。たった一人で100メートル四方はある倉庫の床に「コンクリートシーラー」(コンクリート床用の目止め剤というか、平たく言えばまあワックスである)を塗らねばならなかったのだが、だだっ広い、何もない殺風景な場所に5時間余りも一人でいると、その猫の死に顔と妻の苦悩ぶりが思われてたまらなくなった。
 帰ってみると、妻は母(妻の)と一緒にその猫を埋めに行ったのだという。しかもその死んだ猫に名前まで付けていた。その、名前を付けたという話がたまらなく哀しかった。「無駄な」ことを敢えてする侘しさ。切なさ。
 当分俺の家では「猫」という単語は禁句になりそうである。


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