第6回

 忙しいといったら言い訳にしかならないのだが、今回は昨年の夏に書いたにも拘らず「エクスタシー新聞」に載らなかった拙文を掲載させていただく。 

すべての名詞が、夏を感じさせる。水道の蛇口、自転車のペダル、緑の水田、そして流れる川音。いよいよ七月になった。今はもう夏なのだから、夏を感じるのは当たり前だろう。しかし夏は、全ての物達に「夏の」という形容詞を与える。それが私は好きでたまらない。訳もなく浮かれた気分になったりする。湿気を帯びた空気が私を生かす。
 そんな中でも私が一番好きだったのは「夏の」写真部である。クーラーの効いた暗室。そこに持ち込むサモパン。汗ばむカメラ・そのグリップ。夏休みをめぐる様々な情景。大学生になる以前の生徒たちにとって、最も自由を感じられる夏休み、その四十日間。金は無くても楽しかった。訳も無く、夏期講習に出るでもなく部室に通った。湿気に満ちたあぜ道を自転車で進む。逆光に向かって漕ぐペダル。朝八時になると、私は「ズームイン朝」に別れを告げて家を出たものだ。今朝はどんな道を通って行こうか。そんな些細な事が幸福に形を変えた。雨の日は雨の日で革靴をビーチサンダルに履きかえて出かけたものだ。
 そんなこんなで学校に着くのはいつも八時四十分頃だった。暗室の鍵を開けるのはいつも私の役目だった。前の夕べのシーブリーズの残り香漂う廊下を歩き、暗室の扉を開く。独特の匂いが鼻をついた。この匂いも人それぞれに好き嫌いがあるようだが、私は好きだ。そして灯りを点けると広がる暗室の景色。雑然と広がる様々な物たち。その一つ一つが愛おしかった。
 そして十時になり、十一時になると、様々な部員達がやって来た。ある者は夏期講習のついでに、またある者は暗室作業の為に、そして一番多かったのは私と同じように消閑の為にやって来る男達だった。暗室作業をしない時には、何をするでもなく語り合い、時間を忘れた。気付くと何時も夜七時になっていたりしたものだ。何よりも授業が無いのに学校に居る快感、そして治外法権下にある部室に居る歓びが我々を支配していたのだ。
 勿論写真もかなり撮った。ある日などはトライXの120サイズが無いからといって川越駅東口の「マイン」まで自転車を走らせ、またある日には三脚を立て、校内の景色と向き合った。写真が仕事になるなどとは到底思っていなかった。写真を売るとか、それで食うとか、そういった考えとは一切無縁の無垢な写真たち。私はそれこそ至宝だと思う。金を取ろうとすれば必ず媚びる。作者自身の意思は歪曲される。それでもカメラマンでいたいと思う人は多いだろう。それはそれで良し。写真をとりまく環境、写真を撮っている自分(それを人に頼まれる自分)が好きならそれで良いのだ。しかし今の私はどうだろうか?その「カメラマン」のその下の、アシスタントをしている私。アシスタントなんて横文字で呼ぶのもはばかられるその立場。自分が撮っていない、その上師匠は「写真家」ではなく「カメラマン」と来ている。そんな不満を漏らすなら辞めてしまえ、という言葉が四六時中頭の中に渦巻く。しかし就職して安定した生計を得ればそれで良いのかと言えばそうではない。また、今の師匠ではなくてもっと大御所のアシスタントになればどうかと言えば、また同じことになるに違いない。つまり結局何を言いたいのかと言えば、高校時代(学生時代)にもっと思う通りの写真を撮り、「作品(らしきもの)」を残しておけば良かった、ということなのである。金を取るという事は自分を曲げること。自分の心と時間を削って金に替えること。「仕事が生きがい」と言う人は実に幸福な人だ。その仕事はその人に金のみならず心の潤いを与えている。ある行為を成し遂げる事の歓びが彼を満たす。
 今、外には夏の朝の光。私は幼い頃、私にあと何回の夏休みが来るだろうか、と考えたことがある。燦々と輝く日光の下、干された布団を眺めながら何とはなしに幸福な気分になり、と同時にこの幸福は何時まで続くのだろうかと私は幼いながらに不安になった。その光が十五年以上の時を経て、再びここにある。しかしその景色はまるで違う。私は今故郷の川越ではなく、板橋の住宅街に居る。窓の外には確かに布団はあるが、二階の住人の干した布団の裾が見えるだけ。むせるような草いきれもここには無い。しかしこの光だけは本物だ。全てを照らし、全てに陰を落とす。なるべく明るい所を見ていたい。どんなに暑くても日向に居て、その光の行方を見届けたい。近ごろの私は暇になるとそんなことばかり考えているのだ。
 どうも説教臭くなっていけない。
 だが、もう一つ、ここで語っておくべきエピソードがあるのだ。私は中学三年生の時、南古谷駅前の「桜学園」という臭い名前の塾に通っていた。(今は「山手学院」に変わっている)何となく周りに流されて入ったその塾で私はとりあえず、勉強していた。時には補習等もあって、面倒くさいと思いながらも真面目に通っていた。そんなある日、私は三十半ばの女の先生と二人で補習の机に向かっていた。確か、そのふとした間に彼女はこう訊いたのだ。「いくつ?」「十四才です」「若いねえ。私もその位の頃にはおばさんになるなんて思っても見なかったわ。私もその位の頃に『はたちなんてすぐよ』と言われたことがあるけど、その時には全く分からなかったわ。あなたにも分からないでしょうけど。」この言葉を、私は生涯忘れることは無いだろう。私は近頃、その言葉の意味を実感とともに噛みしめている。三十の気持ちは分からないが、この分だともうすぐだ。二十さえ、あっと言う間だったのだから。
 私の述懐を、諸君はどんな気持ちで読んでいるだろうか。プー太郎の泣き言と笑わば笑え、私は今感傷の真っただ中に居る。そしてあの自由だった夏休みが私の望郷の念をかきたてる。
 そこで提案したいのが「エクスタシー流正しい夏休みの過ごし方」なのだ。

エクスタシー流夏休みの正しい過ごし方
一つ、用はなくとも部室を訪れるべし。
一つ、写真を以って夏休みの無常を知るべし。
一つ、宿題は8月31日に徹夜するべし。
一つ、うろうろするべし。
一つ、合宿・行事には積極的に参加するべし。

エクスタシー新聞らしからぬ地味な内容だが、時にはこんな記事でしんみりしてみるのも如何だろうか。

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