仕事なんて選ばなければゴロゴロしてるもんなんですな、しかし。一度職業安定所(今はハローワークなんてしゃれた名前で呼ばれているが)に行ってみれば分かる。夥しい数のファイルに求人票がぎっしり詰め込んであって、それこそ不景気なんてものは関係ないように見える。さすがに職業を安定供給してくれるという名の如しだ。有難いかぎりでございます。しかしその混雑ぶりには驚いたね。職安って結構辺鄙な所にあるものなんだけど、それをものともせずに失業者達は集うのだった。
しかし、そこに群がる人々の多くはその求人票をためつすがめつ眺めて、結局は何もせずに戻してしまう。そのファイルは様々な職業のジャンル別に分かれているのだが、どう見てもそれを全部見に来ただけなんじゃないか?という人までいる。かくいう俺もそのクチだ。まったく縁のない「フォークリフト・・・その他の労務」とか、「理美容・調理・管理職」のファイルを眺めながら、俺はまだ見ぬ職場に夢を馳せる。だが、そこに立ちはだかるのは経験と資格の無さなのである。また、経験したことの無い職業に飛び込んで行く勇気の無さもそこに付け加えるべきだろう。多くの人はきっとこうした気持ちから多くのファイルを眺め、そして涼しい顔をして書架に戻して行くのだ。
確かに新天地への期待は誰にでもある。俺もまた然りだ。しかし自分が今までやってきた事を活かすことが出来なければ中途採用で会社に入るのは難しい。意外と経験者募集が多いのである。あからさまにそう書かれていなくても「経験者優遇」なんて書かれてたら退くよな・・・。
セールスマンにしろ建築の職人にしろ、生まれながらにそうなったわけではない。いずれにせよそれらの行為を一度は職業にしなければその技は身に付かなかった筈である。企業にしても新卒者はまっさらな状態で入って来るもので、それをそれぞれの職能のエキスパートに育てるまでが仕事だと思っているけれども、既卒者や転職者に対しては即戦力としてやって来てくれることを期待している。だから仕事は夥しくあるのだけれど、実際に出来るものがないという事態になるのだな。会社というシステムは悪い意味で人を「エキスパート」に仕立て上げてしまうものなのかも知れない。結局、学校を卒業して最初に就いた職種をずっと続けざるを得なくなってしまうのだから。勿論大転職を成し遂げて成功する人もいるにはいるが、やはりそれらは氷山の1角なのだろうと思う。
資格も、学生の頃なぞには鼻にもかけていなかったのだがここに来てその有難みが身に沁みる。俺が持っている資格は「英検3級(泣)」と「普通1種運転免許」だけなのだが、この運転免許だけでもかなり有難いと思うもの。いや、実際免許がないと仕事の3分の1は出来ない(応募できない)と思う。それから今イケてるのは介護ヘルパーとか看護婦などの福祉系な。これさえ持っていればこれからの時代安泰に暮らせるんじゃないかと思う。
・・・でもねぇ・・・好きでもない資格を無理やり取ろうとするのは本当に取りたい人に申し訳ない気もするしねえ。話は変わるが日本人のTOEICの平均点が他のアジア各国のものに比べて低いのはヒヤカシで受ける輩が多いからなんだそうな。他の国の人たちは本気でマジ(変な日本語)な人しか受けない(受けられない)からいきおい平均点も上がるというカラクリ。それを指して日本人は英語が出来ないというのは不当だ、という新聞記事だったんだけれども、何だか急に思い出したので書いてみた。まあそんなようなものよ。マジになれない資格を取ろうとしてその資格をおとしめるのは止めたいもんだな、というお話。
と、いうわけで再び写真系の仕事を探したりしてみている。
(もう個人には付かないけどね)
でもまだどうなるか分からない。
キチッと就職して貯金するのも一興だと思うから。
それから普通のいわゆる会社員生活にも興味あるし。
まあいずれにしても今月中には決着をつけなければ・・・。
エクスタシーブックス社長として写真関係以外の仕事をするのはマズイ気もするし・・・。
ああ、もう1時だ・・・。
|