ちゅいーす。そしてサワッディ〜。超ご無沙汰な恍惚コラムの時間がやって参りましたわねえ。最近日本語で長い文章を書いてないもんだから(とかいって他の言語で長文なぞ書けないのだけれど)何だか文体が変ですわね。まあその辺は勘弁して下され。 いや、ね。御察しの方も、或いは俺のことを捜し回った御仁も居られるかと思うんだが、俺のタイ出張の目的ははっきし言って「海外逃亡」で「夜逃げ」だったワケなんですわ。様々な方面にご迷惑をお掛けした儀、この場を借りて慎んでお詫び申し上げます。若しかしたら仕事の関係者も読んでるかもしれないから滅多なことは書けないぞ・・・。なにしろ俺の本名で検索したらこのページ引っ掛かっちゃうんだもん。 しかし、逃亡の2日前まで何食わぬ顔して仕事し、友人諸君に対してもこの企みについて話すことが出来なかった俺はやっぱり冷たい奴なんだな・・・。内心はドキドキだったんですわよ。でも、どこから情報が漏れるかと疑心暗鬼に陥っていた俺はなかなか言い出すことが出来なかった・・・それほど必死で逃げ出したかったって事ですな。マジですんません。でも当分は口で話す勇気は出ないかも知れない。わがままをどうかお許し下され。 と、言いますか。俺は写真を捨てようとしてこんな行動に出たわけではないんですな。所帯を持ちながらカメアシなんてヤクザな稼業を続けている根性が無くなった、というのがまず1点と、それから被写体的(料理とかモデル、とか。)にそそらなかったというのがもう1点。そして第一にこんな事を続けていても写真で食えるようにはならないと感じたというのが一番大きいんですな。この景気の悪い時代に。まあ上との関係もかなり凶悪なモノになっていたし。いやはや、はっきし言って殺意を覚えなかった日はないってくらいに。マジで。 否。殺意も何も、当方にそれなりのやる気があれば克服できた問題はたくさん在って、こちらの非は重々承知しているんだけれども。それにしても身体的な暴力や部落差別まがいの発言に俺は疲れ果てたし、妻との生活や俺の門地の事についてまで興味本位で訊かれる生活はまさに奴隷契約そのものだったと思うのだ。この一個人にくっついているだけで俺の青年時代が終わってしまうのかと思うと空恐ろしくなったんですな。蹴られた擦り傷を負ったまま俺はタイに旅立ったんだが、それがだんだん癒えてゆくのを見るにつけ俺は自由を実感したものだ・・・。灼熱の太陽が皮膚を焼き、それにつれ擦り傷が癒える。実は海外に行くのは初めてだった俺なんだが、イヤな思い出の地から離れるのがこんなにも爽快なものだとは思わなかった。なにしろ携帯電話も掛けようがない、日本から6000キロ離れた場所。以前の仕事で、千駄ケ谷の精神科医へのインタヴューについていった事が有るのだが、彼曰く「ストレスを感じないためにはできるだけその場所から物理的に距離をおいた方が良い」との事。今回はそれを実感した次第。 しかし趣味を仕事にするのは難しいよね、しかし。なまじその行為に愛情があるだけに、金に替えるという行為に素直に移れない。しかしカメラマンという仕事には憧れる。というかその片足までは突っ込んだ感じ。 両足まで漬かるまでのモラトリアムをこれから過ごすことになるわけだけども(二度と漬ける機会は訪れないかもしれないけれど)、この期間は少し地に足のついた仕事をしたいと思っている。 暫くは住所不定のため定期的に更新できないかも知れないが、大体1週間のペースで更新を再開したいと思いますのでどうかよしなに・・・。 |