第44回
幼少の頃の妻を可愛がってくれた、義父の親友が亡くなった。俺はその人の事については幾度となく聞かされて来たのだが、その人の姿を見ることになったのは妻が「最期だから」と撮ってきた、36枚撮りのロールに8枚だけ写った写真が初めてだった。47歳。肺ガンによる、早すぎる死だった。実は先月半ばから、彼はあと10日から1ヶ月の命だと医者から宣告を受けていたのであった。それで妻は写真を撮りに行くことが出来たのである。病院はとりあえず退院して、自宅で療養している彼の写真。何も言われなければただの寝起きの光景に写るかも知れない。パジャマ姿で座敷の蒲団の上に座り、あるカットでは笑顔を、またあるカットでは何とも形容しがたい荘厳な面持ちを湛えている。妻はこの貴重な8コマ−暗い座敷での撮影だったため、実際に引き伸ばせるカットは4コマ程度だったのだが−を、11月の末に徹夜をして40枚近くの印画紙に焼き付けた。同じ顔の写真が、家の畳の上に何枚も並ぶのは奇妙な光景だった。余命いくばくもない人の写真だからこそ、ここまでするのだ。普通の写真なぞ、俺などは2、3枚試し焼きをすれば上等なほうで、しかも焼き損じたと思う写真はその場でゴミ箱行きだ。だが妻はそれを良しとはしなかった。明らかに硬かったり、眠かったりする写真も、妻は丁寧に乾燥させていた。そして俺は乞われてその写真のうちの数葉を、母校の日芸の「仕上げ室」でフラットニングさせに行ったのだった。後輩の鶴田君に御足労願って。それは何という崇高な使命感に満ちた行為だったろう。死ぬと分かっている人の写真(人間だれしも誕生の瞬間から死に向かっている、のだが)を自分の手にかけることは今までに無かった経験なのである。
 しかし、俺の写真歴の中で、撮ってから亡くなってしまった人は既に2人ほど居るのだ。一人は、俺の父方の曽祖父。もう一人は、中学校の先生。俺の父方の祖父も既に亡くなっているのだが、なぜか俺のレンズに収まることはなかったのである。これを思うと、人物の写真は大切にしなくては、という思いがますます強くなる。元気な人を、死を前提に撮影することは不謹慎だとは思うのだが、結局はその写真が保存されてゆけばそれはその人の「形見」になるのである。貧乏暮らしで、ロクな保険にも入っていなく、健康保険料も督促状が来るまで払わない近ごろの俺にとって、死は確実に身近な存在になりつつある。今日明日にも死のうというつもりはさらさらないのだが、妻を持ってみると、どちらかの死は必ずやって来るという事が、まだ青年と呼べる年代の俺にも身に沁みてくる。「あたしより後に死んでね」と妻は口癖のように言う。俺は同じセリフを言い返す。どうしても俺は妻よりも先に死ぬような気がしてならないのだ。
 結論。人の写真を撮ったら本人に渡すべし。人の写真を粗末に扱わないこと。
 今、妻がその告別式から帰ってきた。血の繋がっていない、最期まで懐(なつ)かなかった息子が彼の亡きがらにすがって泣いたという。ミイラはやっぱり生きてないぜ。そういう「死」を信じること。それが人生をより濃く生きるための指標になろう。



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