第423回
いろいろあって、もう3月になった。先日、勤め先の近所の中学校で卒業式をしているのを見たが、やけに遅いなと感じた(3月19日)。自分の頃は16日あたりだったように思うのだが、どうだろうか。これもいわゆる「ゆとり」の新形態なのだろうか。だが、それはまた別のお話。ここのところオフ会の話題続きで申し訳ないので、あえて年末のお話は割愛してたまには違う話をしようと思う。 自分自身はまったく経験はないのだが、最近医院・歯科医院でのエックス線写真の撮り方が変わってきていることにお気づきの方はいないだろうか? そう、普通の写真だけでなく、今ではこうした分野にもデジタルの波が押し寄せているのである。健康診断で息を止めて撮られる肺の写真から、口の中にフィルムを入れて撮られるデンタルエックス線写真に至るまで、CCDセンサーやIP(イメージングプレート)を用いた撮影法が主流になりつつあるのだ。これらのうち、前者は平たくいえばデジカメのセンサーと同じようなもので、撮影したら瞬時に画像が得られるもの。そして後者は、専用のプレートにエックス線で潜像を形成し(フィルムと同じようなものですね)、事後レーザー光でスキャンしてデジタル画像を得るというものだ。これらの利点は、従来の医科・歯科用フィルムにくらべて感度が高いため、患者が受ける被曝量が小さくてすむという点、さらに将来的には世界中で撮影されている年間80億枚ともいわれる(アールエフ社資料より)フィルムを削減させ、エコ的にも役立つことが挙げられる。ある歯科医師から聞いた話だが、最近開業する歯科医院のほとんど、8割以上がはじめからデジタルのシステムを導入するのだという。 さらに、ここの読者の皆様ならお気づきだろうが、従来のエックス線フィルムには「現像」のプロセスが不可欠であった。しかも普通の銀塩写真と同様に、現像→停止→定着→水洗というステップを踏み、「手現像派」「自動現像機派」の2種類がいることまで共通。すると、ここで起きる弊害として、「現像条件によって画像の濃度が変化する」ということが挙げられる。夏の暑さや冬の寒さ、そして現像液がどの程度使われたか、さらには現像するスタッフのスキルによっても画像の濃さが変わってしまうのだ。また、水洗が不足すれば後日フィルムが変色してしまうのも同様。これは一般的な写真ならば何とか許容できるものの(プロとしては由々しき事態だが)、こと医療の分野では難しい問題を引き起こす。つまり、診ようと思った部分がよく見えない、前回撮った写真と今回撮った写真で病状の変化が分からない……など。こうした、「エックス線写真の規格性(いつも同じ条件で写真が撮影できること)」という面においても、デジタル化は恩恵をもたらすといわれている。 しかし、である。デジタルにしても良いことづくめとはいえないとベテランの医師・歯科医師は口を揃える。それは、デジタルとフィルムでの諧調表現の違いについてである。デジタルを推進するメーカー側はフィルムと遜色ない画像が得られるとしているが、所詮「1ピクセル何ビット」というデジタル画像の宿命。フィルムの、ラチチュードの範囲内ならば無限ともいえる諧調表現にかなうものはない、というのだ(ちなみに、前述したものではCCDの階調表現がとくに劣るという)。仕事柄、そういうつもりで見ていると、たしかにベテランほどフィルムにこだわり、現像にもこだわっている。そこから行われる緻密な診査・診断は、きっと患者の役にたっていることだろう。 もちろん、デジタルの精度はこれからもどんどん進化していくことだろうし、その即時性が患者を救っている面もある。だがいずれにしても、こうした医療の分野で現在でもデジタルとアナログのクリティカルな論争が繰り広げられていることは興味深い。久々に、フィルムカメラに触れたくなるエピソードであった。 |