恍惚コラム...

第403回

 さる11月8日(土)から9日(日)にかけ、第33回しりとり専用掲示板オフ会(お泊まり編)が開催された。今回の舞台は、べんしゃぁ氏が住む盛岡にはじまり、青森は三沢、そして秋田は鹿角市までを攻める壮大なもの。そして参加者は、つっちー様にべんしゃぁ氏、そして後三条友美氏に俺の4名。皆様、お忙しい中何とか時間の工面をしていただき、感謝にたえません。それでは以下に、道中の模様を報告してみよう。

 11月8日朝、俺は前日の接待に疲れたボディーをAM5:30にたたき起こし、佐竹商店街を抜けて新御徒町駅へと向かった。コラムを2ヵ月も放置していたためほとんどの皆様には伝わっていないのだが、実は俺は今、台東区民。それで新御徒町駅なのである。そして御徒町で京浜東北線に乗り換えて大宮駅に着いたのは7時40分過ぎのことだった。待ち合わせ場所となった新幹線の改札口にはすでにつっちー様と後三条様の姿があった。いつも登場するのが最後で申し訳ない……。ともあれ、ここから2時間あまり、われわれはまず盛岡駅を目指した。

 その日の天気はあいにくの曇り空。しかし、毎週毎週仕事で新幹線に乗っている身からすれば、私用で、しかもオフ会で乗る新幹線は快適そのものである。新聞片手に缶コーヒー。気のおけないメンバーとしばし歓談し、盛岡に着く手前では全員すっかり寝込んでいた……。

 盛岡駅着は10時過ぎ。するとさっそくべんしゃぁ殿の出迎えを受ける。1年ぶりの再会。愛車のフォレスターも健在である。しかし、ここでプチ問題が……ここでは盛岡名物わんこそばを食する予定になっていたのだが、その時間まで1時間余りの空白があるということなのだった。俺としては別にドトールなりで時間を潰すなり何なりすればとも思ったのだが、そこはやはりオフ会である。何とか観光しなければ! ということで、市内の観光地を至急観光することに。石川啄木新婚の家(やたら広い!)や盛岡城趾公園(眺めがグレイト!)などを攻めて腹ごしらえである。それにしても盛岡、土曜の昼時だというのに歩いている人が少ない。寒いからなのか? それとも人口密度が低いからなのか? ともあれ、こういう雰囲気、嫌いじゃない……。

 果たしてわんこそばタイムがやってきた。会場に選ばれたのは、盛岡駅前の「東家」。何でも明治40年創業の老舗だそうで、べんしゃあ氏によれば「わんこそばといえども、お姉さんがアシストについて一杯一杯入れてくれるタイプのものは貴重」とのこと。お値段はそれなりだが、これはなかなかリアルなわんこそば体験に期待がふくらむ。われわれ一行は配られた前掛けを装着し、バトルに備えた。

 テーブルに並べられた数々の薬味についての解説をべんしゃぁ様から受けていると、ほどなく給仕のお姉さんが登場。お盆の上には20杯ほどのわんこそばが搭載されていた。それをお姉さんが「じゃ〜んじゃん」というかけ声のもと、われわれが持つお椀の中に次々と発射!! もちろんわんこそば初体験だった俺なのだが、最初は案外いいペース。何しろ、その個々のお椀に充填されているそばの量はほんの一口に満たない「半口」分程度のもの。男性ならば平均60杯ほどを食するとのお姉さんの言葉に「楽勝じゃね?」などと思っていた俺なのだが……70杯目あたりから徐々にペースダウン。わんこそば20杯=普通のざるそば1枚ということだから、すでに3人前以上のそばを食っていたことになる。うーむ。結果、俺およびつっちー様、そして後三条様は80杯程度、そしてべんしゃぁ様は101杯(だっけ?)を食し、われわれのわんこそば体験はひとまず終了した。要領は何となく掴めた(だしを飲まないとか、適当なペースで捨てるとか……)と思うので、次回来盛の際にはまたチャレンジしたいと思う次第である。

 さて、そんなこんなで胃がMAXIMUMになったわれわれ一行は、一路青森へと向かった。実は、すでにご承知のとおり、多忙のために具体的な行き先をほとんどまともに知らされていなかった俺のことである。この時に至るまでどこに泊まるかも、何を見るのかも知らなかったのだ。そこで俺は、この車中でつっちー様に行き先を尋ねてみたのだが……。案の定「ヒミツ」とのこと。ディープなスポットには一家言持っているつっちー様がオススメする行き先だけに、いやがうえにも期待は高まるのだが……。そして、2時間あまりの旅の果てにわれわれ一行が見たものはっ!!

 1)「大石神ピラミッド」(青森県新郷村)
 超古代史研究家・酒井勝軍(1874〜1940)によって発見されたこの場所には、エジプト辺りのピラミッドと同じような意味合いを持った感じ(自称)で巨石がゴロゴロしていたのだが……。常人にはちょっとこれがピラミッドだと理解するには厳しいモノがある。どうもその位置関係なんかに意味があるらしいのだが……。なお、この入り口には大きな鳥居が構えてあり、和洋折衷? そして能書きが入り口に書いてあるのだが、その理論すら意味不明というか読んでもよく解らないシロモノ。読者の皆様にはぜひググっていただき、この超感覚スポットの謎を味わっていただきたい。ともかくうまく説明できないのだが、まあ普通に生きていたらまず行くことはないだろうスポットに立ち会えたことに感謝したい。

 2)「キリストの墓」(同)
 1)の大石神ピラミッドから4kmほど離れた場所にあるここは、何しろキリストの墓だということを全身で主張していた。以下に、その入り口にある能書きを引用してみたい。「キリストの墓 イエスキリストは二十一才のとき日本に渡り12年の間神学について修行を重ね三十三才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、百六才長寿を以て、この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。」有無を言わさず「日本に渡り〜行いましたが」「百六才長寿を以て、この地に没しました」と決めつけている部分に一同驚愕であった。
 実際には、小高い丘の上に円形に盛り上がった墓が2基あって、その上に十字架がそれぞれ1本ずつ立っているというだけのシロモノ。そのそれぞれに「キリストの墓」「イスキリの墓」と書いてあって……。こちらもピラミッドに負けない超感覚スポットであることには間違いない。ただ、先述のピラミッドと違い、こちらには少し人気があるようで、我々が見学している間にもつぎつぎと観光客がお参り(?)に来ていた点が印象的であった。

 さて、このような超感覚スポットを巡った我々一行は、いよいよ宿に向かった。今回の投宿先は、青森県は三沢市にある古牧温泉の「青森屋」。実はここ、以前からわれわれの間で話題となっていた「メガ温泉」(風呂なのにウォータースライダーやら何やらが多数設置されている)を擁する旅館だったそうなのだが、このたび何か外資系の企業に買収されたとかですっかり小綺麗になっているとのことであった。まあ、これまでのこのシリーズ(お泊まりオフ)で泊まってきた宿の中では最高級といえる宿であった。夕食、朝食ともにバイキングというのも斬新。露天風呂もゴージャスで満喫であった。夜は長々と飲酒&カメラ&鉄談義。人の口から聞くのは何年ぶりだろうという写真用語に悶絶、普通に生きていたら見られないであろう「貨物列車用時刻表」に驚愕の一夜を過ごした。やはり、たまに仕事以外の人に会うのは大事だなと思わされた次第……。

 そして翌朝。我々は十和田湖へと向かった。個人的には、大学1年のときの専門クラスの担当の先生が青森出身だったのでしょっちゅう聞かされていた地名なのだが、俺としてははじめての場所となる。果てしなく青い湖面。そして季節外れの観光地風情……。このうら寂しさは一体何だったのだろうか? そして、なぜか中国人に人気のスポットっぽかったところも謎である。食堂の前を通りかかれば呼び込みのおばちゃんが懸命に声をかけ、やたら肉感的な「乙女の像」に微妙に萎え……。ただ、その後峠にのぼり、十和田湖を一望したときの眺めは最高だったといえよう。さらに午後は秋田県にまで越境し、鹿角市の「太陽環状列石」と「太陽ストーンサークル館」を見学である。これは縄文時代の墓の跡なのだそうで、そこそこ勉強になった……少なくとも、前日の墓とかピラミッドよりは確実に科学的であった。

 その後、遅い昼食を道の駅「かづの」で摂り、われわれは再び盛岡へ。車中、爆睡していた俺なのだが、2日間にわたって運転しつづけてくれたべんしゃぁ殿に改めて感謝である。べんしゃぁ氏曰く、「今回は車に乗っている時間が長くて申し訳なかった」とのことであったが、非常に充実した内容であったと考える。今回もこの企画を立案して下さったつっちー様、そして現地ガイドと運転をしてくださったべんしゃぁ様、そしてご多用中ご足労下さった後三条様に謹んで御礼申し上げたい。次回は12月……かな??



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