第396回
数ヶ月ぶりにこの欄を埋める機会がやってきた。更新されていないというご意見も複数いただき、止めてみてはじめてわかるコラムの有り難み、といったところである。毎週更新していても滅多にご意見はいただけないのに、こういうときだけ声がかかるのは何とも複雑な気分であるが(!?)、それだけここを楽しみにご覧いただいている方々が多いということだろう。謹んで感謝申し上げたい。短い文章でよければ仕事の合間に書くこともできたのだが、昨今の俺はあまりにも多忙すぎた。論文を読み、いじる間にこうした雑文を書くことの難しさを心から思い知った次第である。とにかく、頭の切り替えが難しいのだ。しかも、毎週土日は学会責め。責め、と言っては語弊があるが、このように(ご承知とは思うが業界の名前は伏せさせていただく)土日にセミナーや講演会がある業界は辛いものがある。電車の中吊りで、しばしば「今度の土日は●●フェア開催!」といった類の広告を見かけることがあるが、こうして働く人々にきちんと代休が与えられているのか、否か。まったくもって考えさせられる。ともあれ、機会があるかぎり更新は続けていこうと思っているので、今後ともおつきあいいただければ幸いである。 さても夏がやってきた。5月の初旬以来、ここまでまったく休みがなかった俺にとっては一気にタイムワープ状態だ。昼間は社内にいるので外の温度をさほど実感できず、温度を知ることができるのは朝晩の天気予報だけ。その「予想気温」がどんどん上がっていくのは目にしていたが、ここ数日でしっかりと体に感じられる夏がやってきたと言えよう。そこで思うのが、俺が脇目もふらず働いている間に世間で巻き起こった数々の事件・出来事である。四川大地震にはじまり、先日終了した洞爺湖サミットなどさまざまなものがあったが、やはり最近衝撃を受けたのが名古屋出張の最中に知った秋葉原連続殺傷事件の話である。その内容について、すでに多くのマスコミによって報道・分析がなされているのは周知のとおりだが、俺が感じるのは「なぜ、関係ない人を巻き添えにするのか?」それだけが何とも不可解なのである。あの種の事件を起こす犯人は大概「誰でもよかった」などと口走るものだが、後になって供述を聞くと「親が……」「学校が……」などという言葉が必ずといっていいほど出てくる。ならば、なぜそこに復讐しないのだろうか? 決して復讐を勧めるものではないが、赤の他人を、しかも大量に殺したところで何の解決にもならないのである。 誰にでも復讐したい相手はいるものだと思う。当然、俺にもそれはある。しかし、大多数の人は立場的に直接復讐することを避け、その思いを時に抱えながら、時に別な次元に昇華させながら生きていくものではないだろうか。その怒りを昇華させて自分が向上することで、いずれは復讐したい相手の目に留まること―それが、もっとも理想的な「復讐」につながるのではないかと俺は思っている。 そうは言っても、上で述べた「立場」がない場合はどうするか? 守るべき家族も収入もなければ、何人殺そうとも、それこそ死刑になろうとも構わないと思う輩も出てくるのではないだろうか? ここまで来ると、もはや理屈ではないのかもしれない。そこで俺は、まさに理屈抜きで書かれた「什の掟」を引用したいと思う。これは江戸時代の会津藩士の子どもたちに教え込まれた掟であり、藩校「日新館」に10歳で入学する以前、すなわち6歳ごろから家で守らされてきたものだという。 「什の掟」 7条の掟に添えられた最後の一文―「ならぬことはならぬものです」。これが通用する世の中でありたいと思う。 |