恍惚コラム...

第395回

 さる人に、「仕事の話を書いたコラムは面白くない」と言われたことがある。それは確かにそうであろう。巷間、ネットで話題となるのは役に立つ話か暇をつぶせる話、どこの誰とも知らない男の仕事の愚痴など誰も読みたくないのは明らかなのである。

 しかし、である。日月火水木金金、撃ちてし止まぬこの仕事ぶりでは頭の中は仕事のことばかりだ。それをどう打破すればよいのだろう?

 そこで俺は最近、週刊誌などのコラムやエッセイを意識して読むことにしている。何を今さらと思われるかもしれないが、本コラムを少しでも面白がって読んでいただけるための努力としてご理解いただきたい。

 そして、俺はある法則に気づいたのだ。「面白いコラムにはたいがい仕事がらみの登場人物がいる」―本コラムと同様、週刊誌に載っているようなコラムには仕事の話も非常に多いのだが、その仕事がらみの人を面白おかしく描写することでそうしたコラムは成立しているという事実。各界の著名人が忙しい合間を縫って書いているのだから、当然仕事の話は多い。しかし、それを愚痴として終わらせないために人との交流を描いている―そして、そうした人々の知り合いにも著名人や面白い人が多いから、話も自然と面白くなるというわけだ。全部が全部この法則にあてはまるわけではないが、おおかた同意していただけるのではないかと思う。

 だが、どうだろうか。いち会社員で、しかも中途半端にニッチ&業界ではメジャーっぽい出版社にいる身としてこれを実践すると……。天網恢々疎にして漏らさず。とんでもないことになってしまうのではないかという恐れが脳裏をよぎる。それはもうここまで顔も出し、ほとんど本名で10年近くやってきて、それでいて生活上何も困ることはないから心配はないはずなのだが、ウチのしりとり専用掲示板が社員による検索に引っかかってしまったこともあるし、なかなか踏み出せずにいるのだ。それは、書く気になればいくらでも面白い話はある。人と会って原稿を書いていただく仕事であるからして、エピソードは満載(とはいわないが)なのだが……。もっと有名になれば何でも書き放題になるのだろうか? 有名になれば、むしろ私のことも書いてと人が集まってくるのだろうか? こう考えていると、いったいこれを何のために書いているのかすら分からなくなってくる。そう言えば、現役の編集者が書いた文章というのはあまり見ないような気もする。

 ある人はこのコラム(サイト)を評してこう言った。「いろいろ書いているのに、作家志望というわけではないところがいい……こういう文芸系のサイトって、いつかはデビューしようという気を感じるのが多いから」褒めているのかけなしているのかよく分からない物言いだが、そう言うからには何かが「いい」のだろう。やはり、有名になりたくもないただの男は分相応な世界を書くべきなのだろう、というお話。



メール

帰省ラッシュ