恍惚コラム...

第385回


 さる12月8日(土)から9日(日)にかけ、第27回(最近、回数にあまり自信がなくなってきたが……)しりとり専用掲示板オフ会が長野・湯田中温泉へのお泊りつきで行われた。お泊りとしては3回目となる今回の参加者は、おなじみのつっちー氏、べんしゃぁ氏に俺自身を加えての3名。これまではべんしゃぁ氏の勤務地にあわせて東北で行われてきたのだが、今回は諸般の事情から長野。とはいえ、どこへ行ってもこのメンツはこのメンツなわけで、そして俺は酒と温泉があればどこでもいいわけで……。熱く盛り上がったことはいうまでもない。以下に、2日間の顛末をお届けしよう。

 初日の朝。毎度毎度の5分遅刻で大宮駅に行ってみると、そこにはすでにつっちー氏とべんしゃぁ氏の姿が。遊びとなると徹底的に遅れるこの体質は何とかならないのか<俺。で、お詫びしつつつっちー氏の方を見ると、何やらべんしゃぁ氏に渡している気配。東国原知事のキーホルダーにツンデレクッキー……あいかわらずのチョイスに感動しながらのオフ会開始とあいなった。

 乗り込んだのはあさま563号。長野新幹線に乗るのは実はこれで2回目の俺である。道中、事情によりべんしゃあ氏は違う指定席になってしまったのだが、この間も俺たちは時を忘れて話しあった。妻ともよく話すのだが、こうしてネットで知り合った人と8年間も付き合っていられるのは本当に奇跡的だと思う。そして、べんしゃあ氏についても俺が高校を出た後の後輩なわけで、まったくもって有難い会なのである。連日の終電ライフで疲れ切ってはいたのだが、眠る暇もなく俺たちは話し合った。

 そして長野駅に到着。埼玉生まれ埼玉育ちの俺は「寒い!」の一言だったが、東北に赴任して身も心も東北人になってしまったべんしゃあ氏は、「案外暖かいですね……」。これのどこが暖かいのかと。改めて、日本は広いと感じさせられたのである。そしてわれわれ一行はまず善光寺観光に向かったのであった。

 善光寺といえば牛に曳かれて行くものと相場は決まっている(?)ようだが、われわれは長野電鉄長野線の権堂駅から歩いて向かった。権堂駅にはイトーヨーカドーはあるわラーメン花月はあるわで旅情もへったくれもないのであるが、善光寺に向かうにつれて観光地的な景色が広がってくる。いたるところに名物の蕎麦店が立ち並び、(中には喧嘩を売るように讃岐うどんの店もあったが)ここに来てやっと旅行に来たな、という気がしたものである。それにしても長い長い坂道は三十路のデスクワーカーには辛いものがあったのだが……。

 かくして善光寺に到着。噂に違わぬ立派な本堂。そして青い空。野郎3人というシチュエーションにはまったくもったいない限りなのだが、それでも粛々と見学&参拝する俺たち。絵馬の内容を冷やかしたりして……。すると突然、べんしゃぁ氏が「うちらも絵馬書きましょうよ」と提案してきた。さしあたって神頼みすることもないのだが……と思わなくもなかったのだが、絵馬を買ったべんしゃぁ氏はその絵馬を俺に手渡して曰く、「好きなことを書いてください」とおっしゃる。しばし思案する俺。そして結局、満場一致で川越東高校写真部の復活祈願」を絵馬に書き込むことになった。全国広しといえども、善光寺で復活を祈られた写真部はここだけだろう。きっと、それを見た他の参拝客も深い感銘を覚えるにちがいない。きっとご利益があるものと信じたい。

 そして俺たちは再びながでん(長野電鉄)車中の人となった。次の目的地は須坂というところである。何でも立派な観光地なのだそうだが、俺には駅前の寂しさ加減が気になった。観光地というところがよそ者の土地になるのはやはりよくないのである。つぶれかけた、あるいはつぶれた個人商店の多い街―いわゆるシャッター街―の景色をしみじみ眺めるのもまた感慨深いものではあるのだが……。

 それはさておき、ここでのハイライトは味噌蔵の見学である。駅から歩いて2、30分ほどのところにある「塩屋醸造」では、その味噌を買う買わざるにかかわらず(!)無料で味噌蔵を見学させてくれるというのである。店にまず入り、いわゆるひとつの昔お姉さん(失礼!)に来意を告げると、その裏の蔵に通してくれるという寸法だ。で、裏に行くと昼休み中にもかかわらず30代半ばほどの男性が迎えてくれた。味噌の蔵と、醤油の蔵で各10分ほどのレクチャーを受ける俺たち一行。ちょっとした社会見学気分が懐かしい。俺の妻も味噌造りをたしなむのだが、妻の製作量が1回あたり2kgであるのに対し、ここでは1つの樽あたり4トン。しかもその樽がいくつもいくつも立ち並ぶさまはまさに壮観であった。

で、次に向かったのは同じく長野電鉄の「小布施」である。何でも葛飾北斎と栗で有名な町らしいのだが、電車が駅に近づくにつれて目に入ってきたものがある。われわれが乗っている列車がホームに着くと、それに並行してとても古い列車が展示してあるのだ。そしてそこには、「ながでん電車の広場」の文字が……。どうもこの場所は鉄分の豊富な(失礼!)つっちー氏&べんしゃあ氏にとってもノーマークだったようで、われわれは小布施の街を散策することも忘れてそこへ向かうことになった。

 広場と言っても、そこにはただ単に列車が置いてあるだけ。しかも、係員などもまったくおらず、開け放たれた列車のドアからどこでも好きなところに入りたい放題というアナーキーなもの。列車はED5002とデハニ201、そしてモハ604とモハ1003という、大正末期から昭和前期にかけて製造されたもののようだ(もちろん後からググりました!)。その価値は俺にとっては猫に小判状態なのであるが、こういうものがただ単に置いてあるだけというのが妙に旅情をそそったのであった。

 小布施の街では「日本のあかり博物館」を見学。何でも日本で唯一のあかりに関する総合的な博物館なのだそうで、原始時代から現代にいたるまでのあかりの進化を通覧することができる。なかなか興味深い内容だったのだが、われわれ一行はどうも先年の「牛の博物館」との比較に終始してしまい……というかあのインパクトに勝てる博物館はなかなかないはずだ……。それにしても、人類の歴史においては裸火があかりとして使われてきた時代のほうが長いわけで、その点では深く考えさせられた。

 そして一行は1日目の最終目的地である湯田中温泉に向かった。ここは長野電鉄の終着駅でもある。駅に到着したころにはすっかり暗くなっており、宿に着くまでには少し苦労したものの17時過ぎには無事到着。宿の名前は「つるや旅館」。老家族(?)が渋く営んでいる和みの宿である。お泊まりオフ史上ではもっともいいサービスだったのではないだろうか。さすがにつっちー氏が「る●ぶには載っていないこだわりの宿」を選び抜いただけのことはある。先客も多く、某前々回のホテルとは違ったにぎわいぶりに安心させられた。

 入浴前にまずは食事である。結論から言わせていただくと、これはまさに「テラ夕食」であった。最近、某牛丼チェーン店の店員が勝手に「テラ豚丼」を作ってYouTubeに動画を投稿するという事件があったが、ここの食事はその量をも凌駕しそうな勢いである。初見ではさほど量があるようには見えなかったのだが、もう次から次へと追加されてくる。すき焼きに刺身、刺身のカルパッチョ状態に茄子のあんかけ、にらの卵焼きに煮物……もう来ないだろうと思ってもどんどん次の皿が運ばれてくるのだ。で、締めの蕎麦までの疾走感たるやすさまじいものがある。しかし、なぜこんな山奥で刺身のカルパッチョが出てくるのかという疑問はさておき、すべておいしい料理であった。読者の皆様にもぜひオススメしたいのである。

 そして入浴。こだわりの源泉掛け流しはしっかりと熱い。ナトリウム塩化物単純泉のお湯は「いかにも温泉」といった色や匂いはないのだが、旅の疲れを癒すには最高である。屋根に覆われてはいるものの露天風呂もあり、こちらも併せて楽しませていただいた。

 その後はグダグダな飲みに突入である。テラ豚丼の動画をネットで見ようとしてAir EDGEの電波の悪さに辟易したり、はたまた「ら●☆す●」の動画をiPodの小さな画面で鑑賞しあったり……もちろん、お互いの最近の様子などを話し合うことも欠かさなかった。買ってきた酒も、いつもなら多少余るのだがすべて飲み干し、冷蔵庫のなかのワンカップにまで手を出す始末。オフ会開始以来かなり経つわけだが、こうしたことをいつまでも続けられる大人でいたいと思った次第である。しかし寄る年波には勝てず、その日は健康的に11時過ぎには寝てしまったのであるが……。

 翌朝は小雪。宿のおじさんの運転で湯田中駅まで戻り、一路長野へ。長野からはしなの鉄道で上田まで行き、上田から上田電鉄で別所温泉までたどり着いた。ここまでで3時間ほどの旅である。雪はいつの間にか止み、車窓には寂寥とした景色が流れていく。こうした場所柄、趣のある建物ばかりだと思いきや新しそうなワンルームアパートなども散見され、「いったいどのような人が借りるのだろう?」とも思わされた。しなの鉄道にしても上田電鉄にしても、なかなか普段は乗る機会がないだけに有り難い経験であった。

 別所温泉ではテラ天ぷら蕎麦。そして立ち寄り湯。常連らしきおじさま達の視線が辛かった。で、あとは上田駅まで戻り、新幹線にてさいたまへ。べんしゃあ氏も一緒に大宮まで戻ったのだが、もう翌日から仕事ということで速攻で東北新幹線で盛岡までお帰りに。今回も満喫、満喫の巻であった。

 ちなみに、来年は青森にある日本最大級の旅館でテラ温泉に入浴するという企画が持ち上がっている。詳細は随時決まっていくと思いますんで、今から刮目して待て……!

 



メール

帰省ラッシュ