恍惚コラム...

第376回

 我が家における竹島問題、いや中印国境問題ともいえるのが俺の喫煙についてである。もう時効と思うので書くが、すでに高校2、3年生の頃からタバコを吸いまくってきた俺のこと。当然、妻にしてみれば俺=喫煙者というのがデフォルトなわけで、最初の数年間はまったく禁煙を勧められることもなかった。しかし、である。数年前にかなりの喫煙者であった妻の両親が禁煙に成功したのを境に、俺に対する態度が変わってきたのである。それはそうであろう。子供の頃から目の前でタバコを吸ってきた実の親が、しかも2人そろってきっぱりと止めたのだから、それを俺にも求めてくるのは当然の成り行きである。歴史は覆ったのだ。

 そんな妻の願いに、俺はこれまでほとんど応えることはなかった。たしかに最盛期には2箱近く吸っていたハイライトを1箱未満にするようには努めているが、俺は事あるごとに「喫煙者の主張」を続けてきた。曰く、「人々が何百年も吸ってきたものに対し、今さら声高に有害性を叫ぶのはいかがなものか」「タバコによって死ぬか、それともその他の原因(事故や、あきらかにタバコが原因ではない病気、ケガ)で死ぬか、そのどちらが先に来るかは運次第ではないか?」「タバコを吸わない人の肺ガンをどう説明するのか?」など……。しかし、当然のことながらこれらの言葉は妻には届かない。曰く、「副流煙の問題」「金銭的な問題」「長生きして欲しいと思っているし、あなたの為を思って言っているのに……」など。いかにひいき目に見ても、妻の主張のほうが理にかなっていると言わざるを得ない。いや、もしかしたら人口の8割ほどが喫煙者であったならこれが非常識な発言ということになるかもしれないが、世界の趨勢はどうみても禁煙の方向に進んでいる。おそらく街頭インタビューなどを試みれば、ほとんどの人が俺の主張が誤りだと指摘するだろう。そもそも、メディアがそういう意見を取り上げないはずだ。「喫煙者の主張」はあまりにも虚しい。「中学生の主張」や「高校生の主張」がこれまで世の中を動かしてこなかったのと同じようなものだ。

 ところで最近、タバコの自動販売機に何やら不思議なボタン類が付いているのをご存じだろうか? これはタバコ業界が来年4月から導入するICカードシステム・「taspo」用のものなのだそうだ。年齢を証明できる書類をセンターに送るとこのカードが返送されてきて、タバコを買う人はこのカードを自動販売機にかざさないと買えない仕組み。タバコを買うプロセスをあえて煩雑にし、さらに20才未満の若者が密かに買うことを防ぐのだという。日本たばこはこれに600億円の予算を投じるそうだが、そこまでしてタバコを売り続けなければならないことに業の深さを感じる。また、世界的なタバコメーカー・フィリップモリス社のホームページにもたいへん興味深い記述がある。同社のホームページの冒頭にはまず「たばこ会社が、誰かがたばこを吸うのを止めようとするのはどうしてでしょうか。 私たちの行っている未成年者喫煙防止プログラムについて、下記のリンクをご覧下さい。」とある。さらにそのリンクをたどっていくと、「私たちは未成年者を将来のお客様とはみなしていません。 未成年者の喫煙防止活動と厳しいマーケティング規準によって、現在の未成年者が成人したとき喫煙を選択しなくなり、喫煙者が減ったとしてもかまわないと考えています。 今後も成人喫煙者の市場はあり続けるものと私たちは信じており、当社にとっての将来のお客様は、現在、競合他社のブランドを選んで吸っている成人喫煙者たちです。 彼らこそが、当社の宣伝の対象となる人たちなのです。」……売りたいのに堂々と振る舞えないタバコ会社の、このもどかしさ。かたや必要としている人がいるのに、それは何となく後ろめたいこと……。深く考えて書いたわけではなかったが、何となく冒頭に書いた「竹島」「中印国境」の話と似てはいないだろうか。長い歴史。どちらの立場からも求められるライン。そして闘争……。

 結局、俺は今節煙生活に入っている。どれだけ減らせるかであるが、取りあえずは1日10本程度に抑えてみたい。昨日もその程度にしてみたのだが、微妙にタバコが不味く感じられるようになった気がする。この成果については、いずれどこかで紹介してみたい。



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