恍惚コラム...

第374回

 飛び石連休の最終ステージである。先週の土日を休み、その次の月曜は出勤し、そしてさらに火曜から木曜日まで休み、そして金曜日に出勤してこの土日がやってきた。毎週こんなだったらいいだろうなと夢想するのもつかの間、冷静に考えると自分で自分の首を絞めているのに気付く。仕事は一切待ってくれないのだ。というよりも、お盆休みをいいことに(?)原稿が遅れ気味なのが恐ろしい今日この頃である。休みをおして出勤しようにも、触るべき原稿のないこの恐怖。同業者の方々にはきっと理解していただけるのではないだろうか。で、休みが明けたらすぐ責了なのである。考えるだに恐ろしい。空いていて快適な通勤列車も、何かの罠なのではないかと勘ぐりたくなる。

 この暑い中で忙しく仕事をしていると、俺は小学生とか中学生、そして高校生やら大学生に夏休みの貴重さを説いてまわりたい気になる。お前ら、宿題がどうとか登校日とか言っているが、社会人になったら40日休みなんてあり得ないんだわということを、俺はどうしたら彼らに伝えることができるのだろうか? 部活といえど、朝から晩までやっているわけではあるまい(まあ、ハードな運動部などではその限りではないだろうが)。むしろ、指導している先生に対する同情の涙が止まらない。それこそ、そこら辺を歩いている若者を捕まえて説教してもいいのだが、そんなことをしたら速攻で通報間違いなしである。物騒な世の中ゆえ、軽率な行動に出るわけにはいかない。

 ならば子供を作り、その子供を介して周辺の子供を啓発するのはどうだろうか。子供が夏休みにもかかわらず、毎日仕事に出る父の姿。美しい。美しすぎる。で、仕事から帰ってきたらきたでまた説教。「お前、こうして40日も休めるのは(後略)」いかん。これではただ単にウザいオッサンではないか。近所の子供達の間でも有名になってしまいそうなウザさ加減だ。変なあだ名をつけられて、外に出る度に指をさされてしまいそうな勢いである。それにしても、あの有り難みを実感できてこそ成長があると思うのだが、如何だろうか。読者諸兄もぜひご一緒に考えていただきたい。でもきっと、俺は子供が出来たら説教してしまうに違いないのだが……。

 また、休みというのは終わりがあって初めて有り難く感じるものでもある。社会人になっても無職な期間が長かった俺としては、この点も強調できる。1年間の海外放浪。で、帰ってきてからの無職期間の長いことと言ったら……。実際には1ヵ月程度だったにもかかわらず、あの永遠に続くような感じは何だったのだろうか? 終わらない休みは少しも有り難くないのである。で、仕事があればあったで休みを欲しがるのだ。新聞の求人欄をむさぼり読むあの心境。あの頃に帰りたいような、帰りたくないような……。学生諸君にも、このような状態を想像して欲しいものである。公立の小中学校であれば好むと好まざるにかかわらずそこに所属し、行きたいだの行きたくないだのと騒ぐことができるのだ。この贅沢。休みとはあくまでも相対的なもので、休んでいない状態があるからこと休みが際立つのだ。光のないところに影ができないのと同じこと。早朝に起こされるラジオ体操にしても、あれがなければないで寂しいのに違いない。本当に遮られることのない休みだなんて、きっとつまらないのだ。

 しかし、書けば書くほどこの有り難みを子供らに伝えることの難しさが分かってきた。休みなのだから何も考えずにただ楽しめばいいような気もしてくる。彼らの夏休みもあと10日と少々。自分にはまったく関係のないことだが、普段着で闊歩している若者を見るにつけ俺は切なくなる。せめて、少しでも有意義に過ごして欲しいものだ。そして、あの日に帰りたい俺がいる……。


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