恍惚コラム...

第373回

 街でよく見かけるアンケート調査員。俺は、その風体や内容が怪しくなければ割と協力してみるタイプである。いかにも怪しい、逆に金をだまし取られそうなものならともかく、大手の食品メーカーなどが市場調査会社を雇って行っているアンケートはなかなかマトモである。かなり昔の話になるが、あるとき池袋の路上で行われていたアンケートでは簡単な質問に答えるだけで、そうわずか30分ほどの時間で商品券1,000円分をゲットし、随分と得した気分になったものである。

 また話は変わるが、商売人は常にお得な情報やセールの情報をダイレクトメールやチラシで届けている。ごくごく当たり前の話ではあるが、これは見知らぬ人に商品を安く提供し、お互いに幸せになろうというメッセージではないだろうか。

 そして話はまた変わる。翻って、編集者とは、とくに専門誌の編集者とはどういうものだろうか? これはもう、よく考えるとひどい話なのである。まず、見知らぬ人に電話などでアポをとる。当然、欲しいテーマに詳しそうな人にターゲットは絞ってある。で、「こういうテーマで、こういう締め切りで書いて欲しい」という話をする。時には断られ、時には歓迎され、時にはうまく行きかけていたにもかかわらずこちらの企画不足で破談になることもある。

 つまり俺が何を言いたいのかと言えば、冒頭の2点は「見知らぬ人に何かを頼むのだから、当然のオトク感&見返りをすぐに用意しよう」という姿勢であるのに対し、最後の編集者の所業は「見知らぬ人に何かを頼んだうえ、そのことはその場では決して終わらず、締め切りと安い稿料でしばらく拘束しよう(?)」というお話なのだ。日々こんなことを続けていたら、いつかバチが当たるのではないか。

 読者からは「原稿料を払うのだからいいではないか」という声も聞こえてきそうだが、そもそも雑誌の原稿料などたかが知れている。30ページほど書いても●●万円(知りたい人はメールください^^;)だし、1ページもののコラムにいたっては●万円(大体分かりますよね?)程度。それを本職の合間に書いていただこうというのだから、いきおい腰は低くなる。と、その前に何としても誌面がメモ用紙になることは避けねばならないから、そもそもカネの話は最後の最後、聞かれれば答えるという状態となる(以前、このへんの話を中村うさぎ氏が週刊文春に書いていて身につまされたことがある)。単行本ならヒットすればそれなりの印税を支払うことができるのだが、雑誌ではまったく書き捨て。どんな内容でも文字数と図表の数で換算されるのだから辛い。

 また、俺が対象としているのは本職の作家ではなく、あくまでもある技術をもって日々の仕事に従事している人であるからして、締め切りの設定もかなりシビアとなる。これが有名な出版社で、どんどん持ち込みが来るマンガや小説の編集をしているのならともかく、こちらは相当前から書ける人をキープしておかねばならないのだ。まったく大出版社がうらやましい。しかし、結果としてこちらが吟味し、頭を下げてお願いした原稿のほうがクオリティは上がるのだから皮肉なものだ。

 もちろん、これはこれですべて断られるというわけでもない。稿料や締め切りは度外視し、後進の育成や業界の発展のために喜んで執筆してくださる方もいる。こちらが欲しい原稿と、こういう著者がうまくマッチングしたときほど気持ちの良いものはない。また、ときには投稿で「これは」というものも見つかるから、悲観すべき事ばかりではないのだ。今、俺のいる編集部では来年の企画真っ盛りである。せめて気持ちよく、まだ見ぬ著者に原稿を書いていただくべく日々奮闘中なのである。



メール

帰省ラッシュ