恍惚コラム...

第364回

 2週間のご無沙汰である。この間、「いったいどうしたのだ」というメールも頂戴し、恐縮しきりである。しかし、決して弊サイトのことを忘れていたわけではないのだ。すでにこのコラムやしりとり専用掲示板で述べてきたとおり、この3週間は本当に、物理的に更新している時間がなかったのである。まあ電車に乗りながらでもなんでも書こうとすれば書けたわけだが、どうもそうした気にもなれず、悶々としたままこの3週間を過ごしてきたのだ。まあ、ようやく仕事も落ち着いてきそうなのでこれからは定期的な更新に戻れるよう頑張っていきたい。これまでに2度の転職を繰り返してきたが、こんなにも忙しいのは自分史上はじめてのことである。カメラマン助手しかり、清掃員しかり、少なくとも週1回の休みは保障されてきた。しかし今ではどうだろう。先の連休が終わって(5月7日)から、つい昨日(5月25日)までまったく休むことができなかったのである。その間の俺は1日平均14時間は会社にいて、しかも最後の1週間はアメリカに出張に出ていた。さらにその連休も3日は返上したのである。これを愚痴と読むか、それとも好きでやっているのだから仕方ない、と読むかは読者各位にお任せしたいが、今日の今日になり、俺は遅ればせながら昨年ヒットしたある新書を読んだ。阿部真大著・「搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た!」(2006年、集英社新書)、これである。

 本書は東大を休学し、1年間バイク便のライダーとして勤めた若き社会学者の実体験にもとづいて書かれているのだが、この本は激務に疲れ果てた俺にとって痛快な1冊であった。詳細は本書に譲るが、端的に言えば「ニートの問題が騒がれているが、その一方で不安定な労働であるにもかかわらず自らワーカホリックに陥っている若者がいる」「バイク便という仕事はバイクが好きという動機ではじめる者が多いが、次第にその趣味が変質していく」「不安定な労働であるにもかかわらず、時給から歩合制へと若者たちが志願していく理由」「団塊ジュニアという世代は不景気や就職難などを経ているため、目の前にある対象に盲目的にならざるを得ない」ことなどが描かれ、 結論としてそうした若者たちに足下を見つめ、連帯するよう求めているものだ。社会学関係の本はキャッチーなタイトルの割にたいへん読みづらいものが多いのだ(新書の縦書きで統計データを列挙するな!)が、著者の若さゆえか、それともデータをほとんど引かない自由な文体のためか、ものの3時間ほどで読破することができた。

 そして俺が本書のなかでとくに気になったのは、「趣味を仕事にすることの危険さ」についてである。本書ではそのことについて数回言及されており、非常に身につまされるものがあった。曰く、バイク便のライダーたちは、そもそも好きなバイクに乗れて、同時に時給を稼ぐこともできるという理由から斯界に入ってくる。しかし、そこで見る光景は生活そのものだ。ベテランの、歩合制で稼いでいる連中はビギナーの連中が乗っている軟派なビッグスクーターやレーサーバイクを軽蔑し、オフローダーやスーパーカブを自ら選んでいる。それはバイクに乗るという趣味と稼ぎを両立させるためのやむない選択であるが、ベテランたちはそれ(軟派なカッコいいバイクを捨てること)をむしろ誇りに思っている……これだけの説明では意味が通りづらいかもしれないが、俺の理解としては「趣味を仕事にすると結局どちらも小さくまとまってしまい、うまくいかなくなる」という意味で間違いないと思う。そして著者はこれについて、「たまたま趣味の対象が不安定な労働に結びついたことが不幸なのであって、その趣味が安定した雇用に結びつくものなら問題ない」ようなことを書いているのだが、この後者についてはどうだろうか。こう言ってしまっては結局ますますモラトリアムを延長させる連中が増えそうな気もするのだが……。

 ともあれ、この「趣味を仕事にすることの危険さ」については俺自身もカメラマン助手になった瞬間から感じてきたので、本書にはたいへん同意できるのである。

 翻って、今の俺の仕事はどうだろうか。仮にも一度は憧れた編集者という仕事。まるっきり趣味というわけではないが、かなり高いモチベーションをもってはじめたこの仕事は、冒頭に述べた仕事の量や待遇とマッチしているのだろうか(そもそも歩合制でもないわけだが)? その答えを早々に出すわけにはいかないが、久々の休みに考えるきっかけが与えられたことに感謝したい。


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