第362回
いよいよ大型連休の幕が開けた。世間には9連休などをむさぼる輩もいるようだが、俺自身はカレンダーどおりに絶賛営業中である。それどころか、連休初日も出社、さらに連休の後半も数日の営業が見込まれている売れっ子ぶりだ。さすがに4週連続の徹夜攻勢はひと段落ついたものの、連休進行というのはたいへん恐ろしい。で、毎年この時期になると決まって愚痴る俺。「なぜ、無理矢理祝日をつなぐ必要があるのか」と……。もう何度も書いているので読者諸氏には飽きられていることと思うが、こんなことなら毎週水曜日休み×2ヶ月の方がよほど有難い。こう書き続けていれば、きっとインターネットの威力によって世界中の同意が得られるはずだと思うのだが……。 しかしそれにしても、俺はなぜこんなに忙しくなってしまったのかと考えることがある。俺のいるフロアには9人の社員がいるのだが、朝9時すぎには出社する俺がいつも一番乗り。そして、夜は夜で大体23時に退社する俺が鍵を閉めている。なぜか。 この現象が生じる原因は至極明確である。これは俺に限ったことではないが、 それではまず、俺の仕事が本当に遅いのか否かについて考えてみたい。仕事とひとくちに言ってもさまざまな種類のものがあるが、俺がいま就いているのは雑誌編集者(のはしくれ)という仕事である。その内容は、・原稿の督促・進行の管理・企画の立案・取材・原稿のレイアウトが主なところだが、これらは定量化するのがたいへん困難なものである。時間内にモノをいくつ作ったとか、窓を何枚拭いたかのようにはカウントできない。また、これらはすべて相手があってのことである。すべて自分のやりたいようにできれば早く終わらせることができるが、著者、読者、そして社内の事情から足止めを食うことは日常茶飯事だ。そこで、この仕事の「早い」「遅い」はひとえに交渉能力にあるのではないかと考える。企画を出して納得させる力。駆け引きのなかで、少しでも原稿を早く書いていただく力。自分のやりたいように、と書いたが、誰でも自分のやりたいように仕事をしたいのは当然のことなのだ。自分のやりたいようにできること=仕事の早さ。これはあながち間違っていないと思うがいかがなものか。そして、俺に交渉力があるかといえば甚だ疑問なのである。何となれば、「交渉力」を「年の功」「経験」と読み替えていただいてもよい。40〜50代の著者を相手に、これがあればどんなによいと思うことか。結果、やはり俺の仕事は遅いと言わざるを得ない。 また、仕事の量についてはどうだろうか。残念ながら、俺はまだ自分にとって適切な仕事の量というものを知らない。連載を3本、それに加え特集や別冊の仕事のために上述のような時間をかけているわけなのだが、今のところまだ何とか倒れずに済んでいる。世の中にはもっと過酷な仕事に就いている人もいるわけで、それに比べればまだ少ないといえるだろう。最近では「ネットカフェ難民」を余儀なくされている方々もおり、何でも夕方アルバイトに出かけて朝6時に「帰宅(帰カフェ)」するような場合もあるそうだ。また、何と言っても俺の仕事は体をほとんど動かさない。その分頭でカバーするわけなのだが、これもまあ何とかやっていけている理由なのだろう。どうにもこの部分には結論が見つからない。 そして第3の原因、「仕事をしなければならない気になっている」はどうだろうか。実は、俺にとってはこれが最大のネックであるような気がする。先ほど「朝9時すぎには出社〜」と書いたが、定時は9時30分なのだ。事実、他の社員は定時の5分前くらいからちらほら現れるし、35分、時には45分ごろやってきて平然としている猛者もある。どうも、昔から俺はそういうことに我慢がならないのだ。遊びの時にはいくらでも遅刻する俺なのだが、会社に遅刻する自分は絶対に許せない。ただ、定時ぎりぎりに来る人々を責めたくなるのはやはり偏っているのだと思う。そんなに生き急ぐこともないのだ(何しろ、この会社には遅刻に対するペナルティーが本当に、まったく、ない)。また、集団で仕事をしながら手持ち無沙汰になるのも嫌いでしようがない。そんな具合だから、ついつい要らぬ部分にまで手を出してしまうのがよくないのだ。今のところ、断わりさえしなければいくらでも仕事が湧いてくる環境である。これでは忙しくならないほうが難しい。 何とかひとつの結論を得ようとして書き始めたこの文章だったが、結果はやはりあいまいなものになってしまった。それでも、忙しい忙しいといいながらもそれをやめないのは自業自得、好きでやっているとしか言いようがないのである。自分が燃え尽きない程度にがんばっていくしかない。燃え尽きた先は転職か、転落か。これ以上仕事を替えるのも何である。読者諸氏も、仕事はほどほどに……。 |