恍惚コラム...

第353回

 自分もついに齢31。20代の頃とはすっかり違う肉体である。駅の階段を駆け上ったときの疲れ方は格別だし、そもそも急ぐからといって走る気にもならない。唯一強くなったのは、夜更かしと酒の量……。そんな俺に、昨年妻がこんなことを提案した。「いい年だし、脳ドックにでも行ってみたら……」近頃話題の脳ドック。あらかじめ脳や血管などの状態を調べ、脳梗塞や動脈瘤などのリスクを察知するアレである。実は、俺もこれには興味をもっていたのだが、たいへんな金がかかりそうなことと時間のなさから躊躇していたのだ。しかし、冬のボーナスを掴んだ妻は俺の知らぬ間にネットでこれを検索し、格安なところを探し出してきたのだ。で、俺はついに昨日脳ドックの被験者となったわけだ。

 場所は、長野県の某所。JR長野駅からタクシーで5分ほどのその医院はこぢんまりとした2階建て。ホームページで謳っているような最新設備があるようには思えない外観だったが、それはまた別の話。定刻よりも1時間ほど早く着いてしまった俺を、職員の方は喜んで迎え入れてくれた。

 電話で予約した俺に対し、さっそく本人確認がはじまる。カルテを見せられ、「お名前とご住所を確認してください」というのだが、そこには何と「1971年生まれ、35歳」との文字が。……35歳……。31歳なんだが……。そこで職員のお姉さんに「75年生まれなんですけど」と訂正すると、お姉さん曰く「じゃあ39歳ということで」……。いくら俺が老けて見えるといえども、せいぜい38歳と言われるまでが限界だった。それが、いきなりの記録更新である。もう笑うしかない。土曜日の静まった待合室に、俺とお姉さんの乾いた笑い声が響き渡った。

 そんな不安(?)をよそに、いよいよドックは開始された。まずは一般的な身長・体重にはじまり、眼圧測定や心電図、採血や尿検査までが行われた。会社の健康診断では35歳以上にならなければ受けられないような検査もあり、さすが有料の人間ドックは違うと思わされた。超ド近眼、しかも網膜剥離の気すら感じる俺は眼圧が気になっていたのだが、無事正常値との結果が得られた。

 これらの検査に30分ほどを費やし、ついに本命の脳ドックがはじまる。脳ドックといえど、別に何か注射されるといったことはない。ただひたすらMRI装置の中で横たわっていればいいので楽勝だろう。だが、CTの経験はあるもののMRIなどという大仰な装置の上に乗るのは初体験なのでやはり緊張だ。1時間は動けなくなるというし……。

 そして、俺は12畳はあろうかというMRI室に通された。頑丈な鉄の扉を開いたそこは間接照明で照らされており、BGMなども流れるさわやかな空間。しかし、その部屋の面積のほとんどを占めるMRI装置のデカさは圧巻であった。で、しばらく待っていると技師のお兄さんがさまざまな用意をはじめる(メガネ持ち込み禁止なので、見えなくて残念)。よくは見えなかったのだが、検査中に患者が動かないようにする拘束アイテムを用意していた模様。寝台の、頭を置く枕はまさに頭の形にくり抜かれた小さなもので、「いかにも医療機器」感がありありだ。

 その後、いよいよ寝台の上へ。身体の幅ギリギリの寝台に、頭の位置をきっちり合わせて横たわる。狭い。するとお兄さんが俺の足、腰、顎、額をバンドで拘束しだした。ブレてはマズイのは分かるが、ちょっとボンデージ気分である。そしてさらに、顎と顔面には金属製の枠が被せられる。まさにまな板の上の鯉。そして顔面だけは鉄仮面状態だ。ここから、1時間あまりにわたるMRI検査が始まったのである。

 寝台がスライドし、装置の中に収まっていく。頭上からは位置合わせのためのレーザー光が照射され、お兄さんが頭の位置を合わせていく。寝ながらにして移動するこの感覚に、俺は一度だけ乗ったことのある救急車の寝台を思い出していた。そして位置が決まると、お兄さんは「それでは始めます。指示があるときはマイクを通してお伝えしますし、中の声もマイクで聞こえますので何かあったらおっしゃってください」と宣って部屋を出て行った。その後も、「今、どこを撮影している」「何分間かかる」旨を伝え続けてくれたので安心であった。

 MRI装置がビートを刻み始める。ビートと書くと何事かと思われるかもしれないが、このMRI装置、撮影中はつねに不思議な音を出し続けるのである。中がどういう構造になっているのかは不知だが、終始「ゴッゴッゴッゴッ」「ブーブーブーブー」「ガンガンガンガン」と、ドラム缶の中で何か硬い物が動くような音と振動が……。お兄さんは「寝てても大丈夫ですよ」といったものだが、とても寝られるようなシロモノではない。ググった知識によれば最近のMRIはこれでも静かになっているようなのだが……。しかし、放射線を使わずに脳の中を高画質で見られるメリットには代え難い。真っ白な天井を見つめながら、俺は取り留めのない事を考えていた。

 検査が終わると、お兄さんは別室に俺を招き入れた。そのお兄さんは医師ではないので診断はできないが、とりあえず今撮影した画像を
見せてくれるのだという。薄暗い小部屋の液晶モニターに、今撮りたての画像が映っている。7mm間隔で輪切りにされた脳。これが自分のものだという実感がいまいち湧かないまま見ていると……お兄さん、「ちょっとこの部分が気になるんですけど」と(以下次週)。

脳



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