先週は嫁さんの妨害にあって落としてしまった恍惚コラム。がっ、今週は一味違うぜ!今日の嫁さんは俺の誕生日が近いってんで実家にケーキを作りに行ったのさ。フッフッフ…。でもあんまり静かなのもこれはこれで寂しいもの。あ〜早く帰ってきてぇ〜、などと渇望したりはしないのだが、やっぱり居ると居ないでは大違いなようで…。 嫁さんはお昼前に出かけたんだけど、その直後に父上から(嫁さんのね)電話が!どうせ早く来ないから心配して電話してきたんだろうな、と思いながら受話器を取ると、「あのー、シゲちゃんの(なんと、俺は嫁さんの実家で『シゲちゃん』と呼ばれている)パソコンってSCSIだよね?」と開口一番訊かれる。「はあ、そうですが…」と答えると、「あの25ピンのヤツでいいのかな?」「ええ、そうです…」「あっ、そう。ありがとう。」とだけ言って電話は切れた…。コレって一体どういう意味なんだ?そういや嫁さんが電話で「MO」がどうのこうのと言っていたような気がするのだが、パソコンの事など全く分からない彼女は「えー、わかんな〜い」を連発していたなあ。もしかして、これで俺もMO持ち?でもなあ、こないだのTAの件でも裏切られたしなあ。ま、過度な期待はしないに限りますな。 それにしても、今この原稿を書いているMac、全部父上(嫁さんのな)に出してもらったのよね。いい加減俺も所帯持ちなのに、情けない限り。自分の実家に電話をすれば「また金が無くなったのか」と嫌みを言われるし、帰れば「金が無くなったときだけ帰ってきやがって」と言われる始末。これじゃ実家に住んだほうが早いのではないかと常々思う。周りの奴等はみんな会社員になっちゃったしさ…。いやいや、こんな事でくじけちゃなりません。 でもやっぱりパソコンって、安くなったとはいえデカイ買い物だよね。今まで自腹で買ったパソコンって、フリーマーケットで買ったMac2si、6000円也だけだもの。あ、LC475も買ったわ。3万円也。そうそう、危険物の日に拾ったPC98のUFなんてのもあったなあ・・・。これには40MBのハードディスクが付いていて、その中には面白アプリがゴロゴロだったわさ。中でも俺は「QuickBASIC」が気に入ってさんざん使ったね。でもコイツはある日、起動しようとしたら「ピー」というビープ音とともに昇天遊ばされた。合掌。いくらタダで拾ったものとはいえ、この時は悔しかったなあ。この98からは、あのエクスタシーソフトの名作ソフト、「ANAL」も生み出されたんだから。それ以来、「ANAL」プロジェクトは中断されたままになっているのだ!うーん、今度は自腹でG4を買ってやるぜ!(希望。あくまで希望。) 何だか懐かしい気分になってきたので、少し俺のパソコン遍歴について書いてみようか。俺が初めて触れたパソコンは、う〜ん、そうね小学3年生位の頃だったか、当時一世を風靡したTOMYの「ぴゅう太」だった。デパートのオモチャ売り場に鎮座ましましていたそいつは、当時の俺をアクメに達させるのに十分すぎるオーラを放っていた。青地に白いゴム製のキーボード、そしてこれまた青地のテレビ画面(当時のモニターはとても高価で、家庭用のパソコンはテレビに接続されるのが常だった)に表示された謎のコマンドたち。人間、訳の分からないものに対してはものすごく惹かれるか、あるいは嫌悪感を抱くかのどちらかだと思うのだが、俺の場合は前者だった。「うっわ〜、いじりてぇ〜!」俺はそんな心持ちで、そのデパートに行くたびにその「ぴゅう太」を愛撫しまくった。当時の俺には知る由もなかったのだが、このマシン、「日本語BASIC」なるものを搭載していたらしい。とはいっても当時のパソコンに漢字が表示できるはずもなく、この機能はすなわちBASICのプログラムをカタカナで書こうというものだったらしい。「print」「For〜Next」「line」などのコマンドを「カク」「カラ〜マデ」「セン」といった具合に書くのだそうな。情けねえ!でもカッコイイ!秋葉原のジャンク店で見つけたら速攻で買いですな。買い。見つけた方は乞う、報告! 当時はそうしたパソコンが他にもあって、アタリだかアミーガだかコモドールだか忘れたが、同じようにテレビにつないで楽しめるマシンがあった。でもコレは一切西洋人の思想で作られていたのでカタカナが表示できず、小学生の俺の食指を動かすことはできなかったのだ。 で、次に俺が出会ったパソコンはNECの「PC−8001mk2SR」。小学校5年生になると「クラブ活動」というのが始まるのは皆さん御存知のことと思うが、コレはそこで採用されていたマシンだ。本体・キーボード一体型のクールなデザインがまたしても俺の恍惚ゲージを極限まで高めたものだった。一体型と言ってもMacPlusや最近の液晶パソコンのようにモニターまで一体化されているのではなく、キーボードがあって、その下に本体のマザーボードなんかが入っている、という構成のヤツだ。俺はもう5年生になったら絶対パソコンクラブに入るんダ!と決めていたので、初めてコイツに触れたときの感慨はまさに一入。俺の頭脳も小学三年生当時から比べれば少しは進化していたので、BASICでいろいろ下らないプログラムを書いては遊んだものだ。それから「ベーマガ」も当時の俺を語るうえで欠かせない存在。電波新聞社刊の「マイコンベーシックマガジン」のことなのだが、皆さん御存知だろうか。この月刊誌には読者の投稿によるプログラムリストが機種別に沢山掲載されていて、当時(今もか?)のパソコン子たちは皆これを自分のマシンに打ち込んで楽しんだのである。今でもこの雑誌には当時のマシンに打ち込んで使えるソフトが掲載されているのでちょっと感動するぞ。そういや俺、就職活動のときこの会社受けたのよ。あのベーマガの感動をもう一度!ってな感じで。余裕で落ちたけどね・・・っていうか写真を見せたら「ウチっぽくない」と言われたから受けなかっただけの話なんだけども。まあそれはさておき、俺はそのプログラム群をカセットテープにセーブしては悦に入っていたのである。当時、パソコンクラブには4代の8001が導入されていたのだが、そのうち正規のモニターが接続されていたのは2台のみ。残りの2台には教室で使われていたボロいテレビがつながれていたのだ。この件ではよくケンカになったね。所詮普通のテレビはモニターの代用品という感じで何とも画質が悪かったのだ。ケンカに弱かった俺はいつもテレビっ子だったね。 外でパソコンを使っていれば、家にも欲しくなるのが人情というもの。で、俺はその「ベーマガ」を読みふけるうち、ある黒いマシンが猛烈に欲しくなったのである。今でこそ黒い筐体を持つパソコンなど珍しくもないのであるが、当時の国産マシンで黒だったのはそいつのみ。そのマシンの名は・・・(次週につづく) |