第349回
いよいよ大晦日である。今年もあまり明るいニュースはなかったが、個人的にはこうして穏やかな大晦日を迎えられることを喜んでいる。今朝の朝刊にはフセイン元大統領が処刑されたという記事。そういえば、イラク戦争中に逃亡していた彼が捉えられたことを知ったのは3年前のベトナム・フエでのことであった。こうして、またひとつ歴史が入れ替わっていく。しかし、繰り返しになるが俺個人にとってはおおむね平和な一年が過ぎていったというほかない。 さて、ここ数年の最終更新では月ごとにその一年を振り返る文章を書いているのだが、今年はまだ積み残したネタがあるのでそちらを片付けることにする。ベンツ話―出張やら忘年会やらで細切れになってしまったこの話を完結させることで、この一年間を総括したいと思う。 前回まではいかにベンツ様をスムーズに駐車させるかという話だったが、今回はその窓を磨く話である。今の俺はたまにレンタカーや実家のクルマに乗るのが関の山なのであるが、当時の俺は一日のうちの多くの時間をベンツの周囲で過ごしていた。もちろん、車内にはセンセイと俺の二人きり。運転をするわけではなかった俺はひたすら後部座席に座り、センセイのご託宣に耳を傾けていたのだが、そんな俺にも心安らげるひとときがあった。 それは、ベンツ様の窓を拭いて差し上げるときである。撮影の空き時間やその終了時、俺は率先してそれを行った。別に、他人の車である。ガソリンスタンドに行けば、もっと上手に拭きあげてもらえるのである。ではなぜ、俺はその窓を拭きまくったのか。それはすなわち、「少しでもセンセイのご託宣を少なくするため」これである。車中での説教タイムはひたすらに長い。それを避けるには、失敗の可能性が少ない方法でセンセイのご機嫌を伺わなければならなかった。そこで窓拭きなのである。センセイを運転席に残したままひとりで車外に出る、この快感―文章ではうまく伝わらないだろうが、これには格別なものがあった。俺は日々ベンツ様の窓を磨き上げ、つかの間の達成感に浸っていた。 しかし、である。そんな俺の窓拭きライフに冷水を浴びせる出来事が勃発した。いつものように、スプレー式クリーナーと雑巾を持ってベンツ様のフロントガラスを磨いていたときのことである。俺は気付かなかったのだが、そのとき着ていたウインドブレーカーだかジャンパーだかの胸の部分についていたチャックの金具がベンツ様のボディー(右フェンダーのあたりだ)にカチカチと当たっていたのである。そうとは知らずにひとしきり窓拭きを終え、センセイにそれを報告したのだが、俺に向けられた第一声はただ一語「ムカツク」これである。「お前、クルマに洋服の金具が当たってるだろうが!」……ああ、ただ無心に窓を磨くことのできた蜜月時代の終焉である。俺はただ、本当にセンセイのご機嫌を伺っていただけなのにこの仕打ち。それ以来、ベンツ様との距離が遠くなったことはいうまでもない。30代半ばのセンセイが「ムカツク」の一言でベンツ様に襲いかかった危機を表現なされたこともまた情けなかった。 こうして、俺とセンセイ、そしてベンツ様との2年あまりの時が流れていった。俺が当初持っていた、センセイのもとでカメラマンになるという志はいつしかベンツ様のスムーズな駐車や窓磨きへのこだわりへと変質していき、センセイはセンセイで俺をいかにベンツ様を傷つけないアシスタントに調教するかということに力点を移していった。冬の寒い時期、ベンツ様の本革シートは硬く、冷たい。センセイは今でもあの本革シートに座り、公道上でブイブイ言わせておられるのだろうか。そして、同乗者がシートヒーターを使えば血相を変えて「バッテリーがあがる」と大騒ぎしているのだろうか。少しでも遅いクルマがあれば煽り、玉川通りではジープチェロキーとの死闘を演じられたセンセイ。俺にはひたすらベンツの美点をお話くださったにもかかわらず、周囲の先輩カメラマンがベンツの話題を振るとたいへんしおらしい態度を見せられたセンセイ。野球選手やヤクザがベンツに乗るのは、それが身体を張る商売だからだと笑顔で語られたセンセイ。ある秋の日、ベンツ様のトランクにカエデの葉が一枚落ちていたのを見て、「美しい国のメルセデス」とおっしゃったときの喜びようを俺は忘れようにも忘れられない。 その後、センセイの教えによって掃除屋に転向した俺はいよいよ自らの手でステアリングを握ることとなった。商用バンのハイエースを意のままに操る喜び。誰にはばかることなく、停めたいところに停め、拭きたいときに好きな方法で窓を拭く。行きたいところへ、行きたいように行けるという当たり前の事実。当初はクルマに対して異常なコンプレックスを持っていた俺も、次第にクルマ本来の用途や良さに気付いていった。しかし、平気でクルマ雑誌を開けるようになったのはここ数年のことにすぎない。やはり、俺にとってのクルマ原体験があのベンツ様だったという事実は拭い去ることができないのだ。今でも、高速道路の追い越し車線を疾走していくベンツを見るとあの頃の屈折した思いが蘇ってくる。ちなみに、誰であろうと、どのようなシチュエーションであろうと、俺の前でベンツは右折禁止である。 ベンツは人を変えてしまう。たとえそれを買える身分であっても、ゆめゆめその魔力に引き込まれてはならない。少なくとも、一生懸命貯金して現金で買うような車ではないことは明らかだ。 |