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恍惚コラム...

第346回

 これまで、ここで自動車のことについて語るのはタブーだと思ってきた。というのも、それは俺にとって虐げられた歴史を象徴するものだったからだ。今では自他ともに認めるクルマ好きな俺なのだが、これを公然と言えるようになるまでには人知れぬ葛藤があった。

 そもそも、運転免許を取得する過程からして俺にとっては自発的なものではなかったのだ。普通、高校を出ればすぐに教習所へ行くのが地方の若者の定番なのだろうが、ご存じ写真狂いだった俺。すべての資金を写真につぎ込んでいたし、貴重な時間を教習所に費やす気もなかった。カメラを運ぶのに自動車があったら……と思うこともないではなかったが、高校時代の自転車通学で鍛えた脚力がそれをカバーしてくれた。ある夏の日には友人たちの運転で河口湖なぞに遊びに行ったこともあるのだが、それとて別段、何とも思わなかったのである。とにかく、自分が自動車を運転する姿を想像することなどまるでできなかった大学時代なのである。

 だが、そうも言ってはいられない事態が俺の頭上に降りかかってきた。大学を出て、俺はいつもの話のとおりカメラマンの助手の職に就いたのだが、そこでさんざんな目に遭ったのだ。素人カメラマンとは違い、やはりプロカメラマンに自動車は必需品だ。その弟子になるのだから免許くらい持っていなければならなかったのだが……結果、俺はさんざんなじられ、「人間になるために」仕方なく教習所に通うことになってしまったのだ。しかし、月給10万余、時間もまったく不定期な暮らしの中でどのように教習所に通えというのだろうか? 結果、俺は見かねた妻の両親の資金援助によって教習所に通い始めることができたのだが、それにも1年近くかかってしまった。

 そして平成11年。俺は晴れて運転免許を取得した。これでもうセンセイのクルマは動かし放題だし、文句ないだろう……と思ったのだが、センセイはそのメルセデスベンツE320ステーションワゴンのステアリングを俺に握らせることは一度もなかったのである。……俺は言葉を失った。キツイお言葉と、30万円近い出費の見返りをまったく得ることができないと知った23歳の秋。だからといって自分で自動車を買う資金もなかった俺。結局、俺の免許証は仕事にまったく役立つことのないまま財布の中で折れ曲がっていった。

 しかし、俺が自動車について語ることをしなかったのはそれだけが理由ではないのだ。そのセンセイの、ベンツに対する歪んだ思いが俺の自動車観を卑屈なものにさせていったことこそが問題なのだ。

 大学を中退し、写真の専門学校を卒業したセンセイの初めの愛車は日産サニー。ついでスバルレガシィに移り、32、3歳にしてメルセデスベンツE320ステーションワゴン(以下、ベンツ)のオーナーになったのだが、やはりベンツは人を変えてしまう。俺はセンセイのことをレガシィに乗っていた時代から知っているのだが、レガシィとベンツでは公道上での態度も、俺に対する態度もまったく違ってしまうのだ。以下、俺が自動車、いやベンツ嫌いになってしまったエピソードについて紹介してみたい。

エピソード1 世田谷コインパーキング事件

 ある日のロケ先での出来事である。そのベンツを世田谷区某所のコインパーキングに停めてロケに出かけたわれわれ一行は、数時間ののちにそこに戻ってきた。そして次のロケ先に移動しようと、精算機にコインを入れていったのだが……ロック板が下がってこなかったのである。迫り来る、次の時間。しかしこのままではベンツを動かすことはできない。そこでセンセイはキレ気味で管理会社に電話を入れた。しばらくの押し問答の末、管理会社の人がそこへ出向くことになったのだが、管理会社氏がセンセイに「車種は何ですか?」と訊いたところ……センセイは「ベンツだよ!」とものすごい大声で叫び、そのまま電話を切ってしまったのだ。
 ベンツだから何だというのか。ベンツはやはり人を変える……そう思わされた事件である。

エピソード2 「乗せてやってる」事件

 当時、毎日の仕事の締めくくりにはかならずお説教をくださったセンセイ。それはほぼ例外なくベンツの車内で行われたのであるが、あるときセンセイはこんなことをのたまった。「……まったくお前は運転もしない、仕事も出来ないで……ベンツのリアシートに乗せてやっているのに」
 ……せっかくアナタのために免許を取ったのに、それを運転させないのはアナタだろう。しかも、仕事の移動に使うクルマにベンツを選んだのは単にアナタの趣味ではないか。誰もベンツに乗せろなどとは頼んでいない。荷物を積みたいのならハイエースにでも乗っておけ……そう思わされた事件である。本革シートの座り心地は硬かったし、尖ったものを置こうものなら鬼の形相で怒鳴られた。何より、置いた荷物がツルツル滑ってしまうのは商用車としては不足なのではないか? ベンツはそういう肉体労働者のための乗り物ではないだろう。

エピソード3 クリープ現象事件

 これまたロケ中の話である。三宿だかどこかの路地で対向車とのすれ違いが難しくなってしまったおベンツ。しばらくジリジリと移動した末、対向車の煮え切らない態度にブチ切れてクルマから飛び出したセンセイ。しかし、頭に血がのぼったセンセイはシフトをDレンジに入れたままサイドブレーキも引かずに出て行ったため、当然クリープ現象によってどんどん前進してしまった。センセイにならって車外に飛び出した俺はそれをただ見守るしかなかったのだが、数秒後。ベンツは自ら対向車の方へ進んでいき、右フェンダーをこすりつけてしまった。あわてて車内に戻るセンセイ……。
 そこからが問題なのである。すっかり機嫌を損ねたセンセイは、そのことをすべて俺になすりつける始末。しかもその後の撮影を放棄し、俺にそこから先の仕事をしておくように命じたのである。
 これはベンツだからという問題ではないだろうが、高いクルマはやはり気を遣うものだということを実感させる事件であった。

 自動車話、いやベンツ話はまだまだ続くのだが、この話はまた次回に譲ることにしよう。読者の皆様も、路上でベンツを見かけたらそれなりの覚悟をお忘れなく……。



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