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恍惚コラム...

第343回

 先日の岩手お泊まりオフの興奮さめやらぬ昨今だが、今度は「牛の博物館」から来場お礼のハガキを受け取って再び感動している俺である。ふだんああしたところでアンケートに答えるタイプではないのだが、ついついその素晴らしさに感動して書き込んだところ、この待遇……。これをホスピタリティと呼ぶべきか、それとも「暇なのか?」と勘ぐるかは自由だが、やはり嬉しいものである。それでなくとも妻をはじめ、周囲の人々にもこの博物館を紹介しまくっている俺。その反応は、一様に好意的なものである。この場を借りてお礼申し上げつつ、これからもますますの発展に期待したい。

牛の博物館ハガキ

 それにしても、あの田園風景が忘れられない俺である。異動があってこのかた「マイ定時」が22時、残業して23時という生活を送っていると、田舎への憧れが大きくなるばかりの昨今だ。どこまでも広がる田圃があり、森林があり、季節の移り変わりを肌で感じる生活……。東北は寒すぎて勘弁(?!)だが、もうすこし温暖なところで、かつ仕事があればホイホイ引っ越してしまいそうな勢いである。数ヶ月前、仕事で訪れた南福島の某市で入手したフリーの住宅情報誌にはものすごくリーズナブルな物件が目白押しだったし、いまどきクルマさえあればどこかのコンビニにはたどり着けるだろう。田舎では手に入らないもろもろのアイテムも、岩手県在住のべんしゃあ殿が実践しているようにネット通販を使えば都会との時差なく手に入るはずだ。病院や学校、そして仕事をどうするかという問題はあるにせよ、とにかく田舎に憧れ中の昨今なのである。出世したらぜひ、ネットだけで仕事をしてみたいものだと思う。原稿と画像をデータで受け取り、加工して送り返すような生活……。「SOHO」という言葉はずいぶん陳腐なものになってしまったが、これこそロケーションフリーなワークスタイル(<頭悪そう)なのではないだろうか。また、地方の廃校を分譲オフィスにしているケースを聞きかじったことがあるが、それにもまた憧れている。

 しかし先ほどから田舎田舎と連呼している俺だが、埼玉だって十分田舎だろうという声も聞こえてくる。たしかに、子どもの頃の俺は田圃を駆け回り、用水路でザリガニを捕まえるような田舎ライフを送ってきた俺。高校生の時分には片道40分の自転車通学だったし、大学生の頃にも駅までの道のりをひたすら自転車で通ってきた。しかし、である。それなりの仕事を求めるなら東京に出なければならないのが埼玉人の宿命なのだ。埼玉人のアイデンティティーが薄いということはしばしば言われるが、まさにそのとおりであると思う。都会にも田舎にもなりきれない、東京の植民地・埼玉。たしかに便利なところではあるが、ここでいくら働いても結局は東京のため……と思えてしまうのが少し寂しい。そして、帰るところは埼京線の、これまた寂しい駅なのである。それならばいっそ、「ここは田舎だぞ!」と誰もが認めるようなところで暮らしてみたくなる。

 昨日は仕事でさいたま新都心にいた。東京生まれ・新宿在住の先輩を連れて、ある講演会を聴きに行ったのである。さいたま新都心―なるほど確かに美しい響きである。だが、そびえ立つ高層ビル群をいくら見ても、新宿に住む彼には単なる「ハコモノ」にしか見えなかったことだろう。不自然に真新しいそのビル群には、やはり歴史が感じられない。どう見ても、それは新宿副都心のコピーに見えてしまう。勝ち負けを論じているわけではないのだが、やはりその土地にはその土地なりの「分」というものがある。田舎に住みたい人は田舎に、都会に住みたい人は都会に住めばよいのだ。この国がどこまでいっても同じ景色になることには意味がない。そして、今日も茫洋としたこの土地に住む俺がいる。



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