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恍惚コラム...

第342回

 早速ではあるが、先週末は第23回しりとり専用掲示板オフ会ということで岩手県の一ノ関方面に出かけていた。やはり私用で乗る新幹線というのはいいものである。普段新幹線に乗る機会といえば仕事での出張のときだけなので、見慣れた車内の景色もまた違って見える。しかも、今回は人生初岩手だ。岩手……それは埼玉人にとってかなり縁の薄い地である。べんしゃあ殿が赴任していかなければきっと一生行かない可能性すらあったのではないだろうか。それでは早速この偶然に感謝しつつ、このオフ会の顛末についてお話することにしよう。

 10月28日の朝。俺はまずつっちー殿と大宮駅で待ち合わせた。連日連夜の4時間残業で疲れ果てた俺を迎えたのは、どう見ても遊びに行くとしか思えない人々の列。それを見ても頭がなかなかオフ会モードに切り替わらない俺だったのだが、いつもいつも先に待っていてくださるつっちー殿の顔を見ると「ああ、オフ会に来たのだな」という実感が高まる。その日、大宮の空は曇り。聞くところによると、目的地の天気もどうも怪しいらしい。しかし、夏場から練りに練ってきたこの構想が翻ることはありえない。そして俺たちはしばらく時間をつぶし、いよいよ車中の人となった。

 2時間あまりの列車の旅である。つっちー殿、座席に座るやいなや韓国海苔のパックを取り出した。俺も大好物な一品なのだが、まさかここで対面することになるとは……それを有り難く頂戴しつつ、北へ北へと移動する俺たち。流れる車窓の景色をよそに、世間話に花を咲かせた。昨年の福島オフではたまたま自分の卒園した幼稚園の園長が援助交際で捕まるという小ネタがあったのだが、今年の話題はまったくさまざま。PSPとDSの違いについて、はたまた先日世間を騒がせたSoftBankの「予想外」割引についてなど……まったく脈絡のない話ではあったのだが、旅は道連れ世は情けというヤツである。俺たちは数百キロの移動にもかかわらず時間を忘れ、一ノ関駅へと降り立った。

 車外に出るや、いきなり寒い。あっという間の移動とはいえ、やはり東北は東北なのである。立派な駅舎にもかかわらず、午前11時の構内には人もまばら。そしてこの寒さ……だが、この寂しさが何ともたまらないのである。そして、駅裏のロータリーをしばらくうろうろしてべんしゃあ殿の超高級SUVを発見。しかし、深夜バスに乗ってやってきた後三条殿の姿は見えど超高級SUVのオーナーの姿が見えない。どうしたことかと後三条殿に訊いてみると、何とまあ俺たちを捜しに駅構内に入っていってしまったというではないか。それでもめでたく数分後には全員が合流でき、いよいよ岩手オフの火蓋が切って落とされたのである。

 まず向かったのは中尊寺だ。歴史に弱い俺のこと、中尊寺といっても昨年亡くなった漫画家の中尊寺ゆつこ氏しか思い出せない俺なのだが、まあ何というか、奥州藤原氏ゆかりの地なのである(以下、歴史に関する記載はすべてうろ覚えだ)。一ノ関駅から車で15分も走っただろうか。俺たちは駅の静かさとはまったく正反対の超観光地の人となった。何となく寂しげな駐車場、何となく切なげな土産物屋を横目に見ながら800メートルもの参道を登る。正直、ここ数年運動らしい運動をしていない俺にはかなりの試練だったが、せっかくの機会である。参道に散在する建物などを見ながら登り切った。いちばんの見どころである金色堂にはどこから湧いてきたのかと思わせるほどの人々が群がり、それにひきかえ松尾芭蕉の銅像なぞはあまり注目されていないのが哀愁ポイントである。個人的には、金色堂の先にあった能楽堂のうらぶれ加減がグッと来た。

 ひとしきり中尊寺参りを終えた俺たち一行は、今回のハイライト・「牛の博物館」へと向かった。正直、観光プランはつっちー殿とべんしゃあ殿に任せっきりだった俺である。縁もゆかりもない土地に行くのだから詳しい人にお任せするのがよろしかろうと思ってまったく関知していなかったのだが、ここは何というか……すばらしく良かったのである。ここをチョイスしたつっちー殿でさえガイドブックを一瞥しただけにすぎず、「前沢牛さえ食えればいいや」という認識でしかなかったこの場所。だが、見学し終えたときには4人が口をそろえて賛辞を贈ったこの博物館。字面だけ見ると、読者の皆様も「どうせ予算が余った役所がやっつけで作ったのだろう」と思われるだろうが、ここは岩手観光随一のスポットであったと俺たちは断言する。……つい熱く語ってしまったが、話を戻して「牛博」に至るまでのお話をしよう。

 中尊寺を出た俺たちは、べんしゃあ殿が駆る超高級SUVの車中で次の目的地・「牛の博物館」に対して生ぬるい期待を抱いていた。まさしく上に書いたように、「前沢牛さえ食えればいい」。昼食と言うには少し遅い時間帯だったので、俺たちははっきり言って博物館よりも併設のレストラン・「前沢ガーデン」にばかり思いを馳せていたのだった。それでも車はどんどん田舎道を往き、小高い丘の上にさしかかった。いかにも「ハコモノ」風情な建物が見えてくる。周囲は美しい田園風景。そのギャップがまた田舎に来たという実感を増幅させる。

 車を停めると、俺たちはその建物の目の前に立った。庭に飾られている牛のオブジェにも何だかカネがかかっていそうで、「何だかな……」。しかも、牛の博物館といいながらすぐ隣のレストランでそのお牛様をもったいなくも食べることができるのである。ほんの少しだけ迷う俺たち。「食べてから見るべきか、見てから食べるべきか……」しかし誰も空腹には抗えず、レストランに入ることにしたのである。

 駐車場の車はまばらだったにもかかわらず、レストランはほぼ満員状態であった。前沢牛の集客力に感銘を受けつつ、俺たちは店内へと通された。小綺麗だが、たいへん質素な内装。店員もきっとお役人様なんだろうな……と思いながら出されたメニューを見ると……。凍りついた。いくら観光地といえ、である。いくら牛の博物館の隣だから、である。まともなステーキを食べようと思えば最低4,400円のキューブステーキ、最高13,500円の特製サーロインステーキの中からチョイスしなければならないのだった。さらにさらに、それぞれのメニューにライスとサラダをつけるためには+1,000円の出費を強いるというではないか! 何てこった前沢牛。今にして思えばいかに輸入牛肉が安いかという証左なのだろうが、それまでのウキウキ気分はすっかりクールダウンだ。しかし、ここに果敢に挑戦したのがつっちー殿である。日和ってハンバーグステーキ(1,000円、でもライスをつけたので2,000円)を頼む俺たちを尻目にリブロースステーキ(4,800円)を注文したのである。まあそれは必然であったのだろうが、まったくもってこの価格には驚かされた。

 そして、前沢牛で空腹を満たした俺たち一行は牛について博物館で学ぶこととなる。世界随一の牛専門博物館。いったいこの中ではどんな光景が繰り広げられているのだろうか? 「牛」+「博物館」という組み合わせからして、常人にはとても想像することができなかったのである。しかし、人生勉強である。400円なり(レストランでもらった割引券を使うと300円)の入場料を払って意気揚々入館した。

 2階建ての建物に入ると、いきなり目を引くのが種牛の剥製。名前は忘れてしまったが、生涯にわたってものすごくいい肉質の牛の子種を放出しまくった牛の功績を称えているのである。このほかにも「牛の生物学」「牛肉の等級について」「牛料理のバリエーションについて」といった感じの展示が続くのであるが、ここで特筆すべきはその牛の繁殖にかかわる展示の内容である。日常的にそれに携わっている方々にしてみればごく自然なことなのだろうが、門外漢にはなかなか生々しい発見の連続だ。まず、1階の隅に設けられた「牛繁殖の名人(うろ覚え)」のコーナーには優秀な繁殖家の顔写真とコメントが展示されているのだが、これらが奮っているのだ。「最初の発情を見逃さない」「牛の性能を引き出す」「牛と会話ができるようになる」(大意)……。牛との会話。ドナドナド~ナ~ドォナ~、子牛を乗~せて……。さらに、2階では牛の精子を採取するための方法が事細かに紹介されているのである。牛用オナホールであるところの「人工膣」、そしてそのオナホールを装着するための「擬牝台」、さらには以前行われたという伝書鳩による精液の輸送にいたるまで……。牛の繁殖なぞ、牧場で牛たちが致すにまかせているのだと思いこんでいた俺たちにとってはものすごいカルチャーショックだったのである。もちろんこれだけでも十分見る価値のあるものなのだが、総体として牛と人間との関係について深く知ることのできる展示内容となっている。読者の皆様にもぜひ、力強くオススメしたいスポットなのである。

 「牛博」を後にした俺たちは、さらに「幽玄洞」という鍾乳洞へと向かった。3億5千年前の地層に属するにもかかわらず、発見からまだ25年しか経っていないという何とも神秘的な場所だったのだが、ここでの思い出は見事な鍾乳石やクレバスよりも出口にある売店で売っている同人誌風のコピー本である。なぜここで? と思わせるその本は、何だか幕張メッセからそのまま持ってきたのではないかという装丁と絵柄。この力の入りようはいったい何だったのだろうと思いつつ、即座に購入して持ち帰ったことは言うまでもない。いや、その話は抜きにしても素晴らしい洞窟だった(フォロー)。

 夜である。今回の宿は「矢びつ温泉霊験の湯 瑞泉閣」。オフ会史上最高級(といってもまだ2度目なのだが)のこの宿の贅沢なところは、何と言っても携帯電話がほとんど圏外になってしまうという点である。これは半分皮肉かもしれないが、今の世にあって携帯電話の電波が届かないところで長い時間過ごせることがあるだろうか? 携帯嫌いの俺にしてみれば、これはなかなかに貴重な経験なのである。

 投宿すると、疲れ切った俺たちは部屋であくまでもダラダラした。普段の温泉旅行であれば即座に浴衣に着替えて浴場に行くところなのだろうが……。秋口で、すでに窓の外は夜。しかも携帯電話の件からも想像できるとおり、宿の近所にはまったく何もない場所である(玄関口には「熊に注意」という張り紙があった)。ただただメシを喰って、寝る。そういう贅沢な時間が流れる場所なのだ、ここは。

 食堂で夕食。どこの牛かは不知だが、ものすごく柔らかい牛肉に舌鼓。本当はその場で酒盛りを始めたいところだったのだが、一ノ関サティで買い込んだ酒を公共の場所で広げるわけにもいかない。結果、布団の敷かれた部屋でダラダラ飲む。なぜか後三条殿のPHSとべんしゃあ殿のAir H"は感度MAXだったので、ノートパソコンを肴にネット談義や鉄談義をして夜を過ごした。

 翌朝は猊鼻渓へ。このいかついネーミングの由来は各自調べていただくとして(おい)、これもまた野趣あふれる観光地である。前日から気になってはいたのだが、この当たりには台湾あたりからの観光客が非常に多い。田舎の景色をみながらあちらのイントネーションを聞いていると、かつての旅の記憶も蘇ってくるというものだ。まさにアジア的哀愁の地。外国からの旅行者はこの渓流の地に何を見るだろうか。ここでの名物は「かっこう団子」。渓流の上にワイヤーを渡し、それに吊るしたカゴで店員とやりとりするという趣向のだんご屋である。かつて土産店の場所争いで対岸に追いやられた創業者の苦肉の策だったのだとべんしゃあ殿が教えてくれたのだが、今では辺り一番の大人気になっている。まったくのどかな景色である。

 その後、俺たち一行は「牛博」に次ぐ謎スポット・「細倉マインパーク」に向かった。宮城県側になるこの場所は、数十年前に廃坑となった洞穴を観光スポットとして活用したもの。バブル期にかなりの力を入れて開発したスポットらしいのだが、今ではすっかりマニアックな場所になってしまっている。

 このマインパーク、たしかに前半は素晴らしかった。700メートルほどの坑道にはリアルな蝋人形が並び、採鉱の流れを視覚的に知ることができる。坑道に入っていくトロッコの心許なさ。人間がこんな大きな穴を掘って、果たして山は崩れないのだろうか? 鉱山労働者の悲哀とそれを支える技術について感じ入っていると……後半は窪塚洋介の迷言も真っ青なトンデモ空間に早変わりしてしまう。この坑道を「ホソキュリアン」が生まれる空間に見立て、生命の誕生から自然との共生(?)、そして調和によって明るい未来を築きましょうというメッセージをビシビシ伝える空間になっているのだ。これにはさすがの俺たち一行も「……」。「これが1,200円なら、『牛博』は2,000円でもいい!」と口々に語り合ったものだ。どうも文章だけではマインパークの素晴らしさを伝えきることができないので、これ以上は専門のwebサイトなりにお任せすることにしたい……。

 その後もくりはら田園鉄道の駅を見学したり、一ノ関駅前でパラパラを躍りまくるギャルを目撃するなどといったエピソードには事欠かないのだが、それはまた別のお話。ともあれ、お泊まりとしては2回目の今オフも無事成功させることができた。この場をお借りして、あらためて立案してくださったつっちー殿、忙しい中車を出してくださったべんしゃあ殿、そしてはるばる夜行バスで来てくださった後三条殿にお礼を申し上げる。次回はいったいどこで何が繰り広げられるのか! ぜひ、楽しみにしていただきたいと思うのである。



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