第341回
さる9月にも体力の限界に挑戦していた俺だが、この10月もまた疾風怒濤の日々を過ごしている。自分の勤め先が開催した学会。世界から33名、日本国内から200名あまりの権威を招いて●学(またもサーチエンジン対策だ)の最新情報を伝えるこの学会は、神奈川県某市の某会議場で3日間にわたって開催された。その間、社員は桜木町のホテルに泊まり込み、朝7時過ぎから夜10時過ぎまで働いたという……。他の業界でいえば、メーカー勤務の人が自社製品の展示会に参加するような気分だろうか。事実、この学会では●科機器や薬剤のメーカーが200社あまり参加し、ほぼ同じような日程で展示会を行っていた。 40名あまりの社員は、それぞれに担当をもって働いた。来場者の受付をする者あり、また講演中のホールに張り付いてプレゼンテーションの段取りをする人あり、またそのすべてを仕切るべくPHSと無線機を握りしめて走り回る人あり……そして俺は、その大会のすべてを写真に残す仕事を仰せつかっていた。 先述のとおり、3日間で200名以上が講演を行う会である。数十もの部屋で同時進行で行われるそれらの講演に対し、俺はかけずり回って撮影を行った。たとえば一般のコンサートならば前座→中堅→大御所といった順番で行われるから分かりやすいのだが、この会では同じ時間帯に前座と大御所が、あるいは中堅と大御所が違う部屋で講演を行うのである。当然大御所の撮影が優先されてしまうのだが、一人でも多くの演者を撮影するという使命を負った身である。すばやく撮影して、次へ次へと移動しなければならない。しかもああいう講演はスライド映写をしながら話すものなので、冒頭の挨拶が終わると照明が消されてしまうのだ。結果、俺はほぼ一時間おきに例の観覧車とかにほど近い会議場の中を右往左往したのである。バリバリに写真を撮っていた時期でさえ、ここまで動き回ったことはなかった。31歳、メタボリックシンドロームが気になるお年頃には相応しくない苦行であった。まだ疲れが抜けないし……。 そして、これと同時進行で迫ってきたのが自分自身の異動である。まさに社内転職、借りてきた猫状態(そんなにカワイイもんじゃないが)。先日の水曜日から正式に異動となったわけだが、これもまた疾風怒濤の日々を加速させている。常々書いてきたとおり、●科の総合紙(新聞)にいた俺である。それが「ホテツ」(失われた歯の修復物を作り、装着する学問。平たく言えば、部分入れ歯から総入れ歯、差し歯や詰め物などの製作とそれに付随する研究などを行う。漢字で書かないのはこれまたサーチエンジン対策)の専門誌に行ったものだからもう大変である。周囲ではたいへん高尚な術語が飛び交っているし、編集者にとってなにより辛いのが著者の名前や人間関係を覚え直さねばならないということだ。広いようで狭く、狭いようで広い●科界の人間関係……。誰が誰の弟子で、誰がこの分野の大家で……こうしたことを簡単にでも理解していないと、おちおち著者と話もできないのが辛い。また、入ってくる原稿もまた従来とは違ったものだ。政治ネタから純・学問に移ると、かくも日本語が変わるものかと驚かされる今日この頃である。 百数十ページの月刊誌を、実質3人で作っているこの部署。俺の定時は毎晩10時になりそうな予感……。 そして、こんな俺をさらに驚かせたのが叔父の訃報であった。異動直後のお昼時。上に書いたような原稿と格闘している最中にその電話はかかってきた。もともと親戚付き合いの薄い俺ではあるが、当然知らない人ではない。その叔父というのは自分の父のすぐ上の兄にあたる人であり、その息子―従兄弟にあたる―は俺とまったく同じ歳だ。すでに2子をもうけ、実家に妻と同居しているその従兄弟とは中学生の頃から高校を卒業するまでの長い時間をともに過ごしてきた。俺の脳裏には、その叔父というよりも従兄弟の顔が先に浮かんでくる。最近疎遠になっていた彼。そして、恐らく俺自身の父親と大して変わらない年齢の父親を亡くした彼。明日は通夜の席だが、香典袋を買いながらどのような言葉をかけようかと考えあぐねている日曜の朝である。 さてたびたびで恐縮ながら、来週の幣サイトは「第2回 東北お泊まりオフ」のため休載とさせていただきます。今回はどんなお話になることやら……。 |