第337回
さて、9月9日になった。われわれ川越東高校OB、あるいは在校生にとって、この日は特別な意味をもつ。第22回翔鷺祭―いわゆる文化祭の日であるからだ。 いろいろなところで書いてきたとおり、この高校のOBの愛校心は極端に薄い。卒業した途端、文化祭はおろかその他の行事にさえ二度と姿を現さなくなるOBたちが多いことからもそれはうなづける。俺とて、同じ部活以外の同期生に卒業してから会ったことがあるかと問われれば即座に「ない」と答えられるのだ。その理由はまったくさまざまだろう。中途半端な地方都市の、中途半端な進学校。男子校であることも大きいだろうし、単純に交通が不便であることも見逃せない理由となる。生徒会執行部諸君は毎年毎年集客に苦労しているようだが、ふたを開けてみれば漸減傾向に歯止めがかからないようだ。 そもそもOBに愛されない学校が、文化祭に他校の生徒や一般市民を集めることなどできるはずがない。何かで有名にならないかぎり、世間の耳目はいち高校に集まることはないのだ。卑近な例で言えば、あの川越高校の男子シンクロナイズドスイミング。また、高校野球で一世を風靡しているハンカチ王子。そして、高校生クイズで常連になりつつある浦和高校……まああそこまで有名になれとは言わないが、運動も含めて文化的な知名度を上げなければ、久下戸の田んぼにそびえる巨塔とて埋没してしまう。今年の翔鷺祭も、近隣の某有名男子校と同じ日に開催されてしまうそうではないか。 最近、星野学園はずいぶんと広報活動に力を入れているようだ。また、その組織の拡大ぶりも刮目に値する。新聞の折り込みチラシは入ってくるし、来年には小学校も開校するらしい。あの伝統ある星野女子高校にもなぜか男がいる時代。そのうち大学まで作り出すのではないだろうか。だが現状、いちOBである俺にも「星野高校」「星野高校男子部」「星野中学校」……これらの区別がつかないし、それぞれがどこに所在するのかも分からない。そもそも、こんなことに興味を示しているOBは俺ただ一人なのではなかろうか。本格的な少子高齢化時代を迎え、私立高校としては一人でも多くの生徒を獲得したいのが本音であろう。小学生を囲い込み、中学〜高校までの12年間にわたって安定した収入を得ることは経営的に重要な戦略であるにちがいない。 ただ、少し待ってほしい。その12年間の目標が、結局は伝統と名声のある大学への進学のみだとしたらそれは意味がないのではないか。そして、星野学園の「売り」もそれと同じことだとしたら……。虎の威を借る狐ではないが、数十年数百年の伝統をもつ大学に進学できる、つまりその名前を借りての営業だとしたら、生徒はどこの高校を選んでもかまわないことになる。どこの高校に行っても、いい大学に進む生徒はいるものだ。また、いくら高校のクラスを普通科/理数科などと分割してみても、昨今の受験事情は予備校の力に多くを依拠している。進学率、進学先をひたすらに誇るだけで受験生が集まるのだとすれば、誰も苦労はしないはずだ。まだまだ星野学園は一流と認知されておらず、今はその途中なのだといわれるかもしれない。だが、先に述べた例のとおり、一流の高校にはそれなりの文化的な「余裕」があるものなのである。文化は決して数字で量ることはできない。伝統校のOB名簿などに触れるたび、生徒が二度と振り返ろうとしない学校の将来を俺は危ぶむ。受験勉強をするだけなら、ほかに相応しい場所がいくらでもあるはずだ。もちろん、俺の立場からは文化部の衰退について苦言を呈することを申し添えておく。 ともあれ、今日は文化祭の初日である。せめて、これをお読みの関係者諸氏にはもう一度「文化」の意味を反芻していただきたいと衷心から願う。 |