第333回
今年も短い夏休みがやってきて、俺はいま川越の実家にいる。4、5年前に建て替えられた実家に往時の面影はすでになく、真新しい(といっても5年は経っているわけだが)壁紙に囲まれた六畳間にひとりで座っている。窓から見える景色―といってもこれを書いているのは夜の11時だ。景色といっても何が見えるわけではないのだが、少なくとも蛙の鳴き声が聞こえている。そして、これだけが往時をしのばせてくれる要素なのだ。 俺は物心ついて以来、18歳までをこの土地で暮らしてきた。18歳以降は出たり入ったり、それこそ女の人の部屋に出入りしたり、引っ越しも3度経験してきた。生まれついての埼玉県民である。おおくの同胞がそうであるように、俺もまた土地への帰属意識は薄い。この時期、仕事場では多くの人々が故郷をめざす。埼玉と東京を結ぶ電車の中にも、東北からのチケットを握りしめる人を見かけるこの頃だ。自分のルーツをこんな近場に見いだすことができて、よいのだろうか。埼玉県民の悩みは、実は深い。 蛙の鳴き声がひときわ大きくなってきたので、俺はこの土地での思い出話をはじめる。思い出話といっても茫洋としてしまうが、ともあれこれから思いつく話を書くことにしよう。 このくらいの陽気の頃だっただろうか。中学3年生だった俺は夜な夜な進学塾に通っていた。そこでの勉強ぶりはさておき、その頃の俺にとって夜ひとりで自転車を漕いでいることは何とも刺激的だった。朝起きて学校に行き、放課後には部活。そうした学校での縛りを離れ、早めの夕食を摂って出かける夜。なぜか持っていた、当時高嶺の花だったウォークマンを耳にこぎ出せば、何ともいえぬ開放感が俺を包んだ。読者各位がどのような景色を想像しているかは不知だが、15年前の川越には今よりもずっと緑が多かった。緑というのがスマートすぎるなら、田んぼと言い換えてもよい。つまり、そこを自転車で流したからといって何があるわけでもないのだ。時折出会う自動販売機の灯り。街灯に群がる無数の虫たち。路肩にまで夏草が迫る田舎道を、俺はそれでも遠回りまでして楽しんだ。まったく登場人物が出てこないお話なのだが、俺のような個人の記憶とはそんなものだろう。しかし、そんな些細なことを楽しめたのがこの土地だったことに俺は感謝以外の言葉を知らない。 そういえば、雲が流れていくことを知ったのもこの土地だった。まだ4、5歳くらいのことだったろうか。ある春の日、俺はまだこの家が建て替わる前の塀の上にいた。塀の角の、L字形になった部分に寝そべることができるほど小さかった俺は、その塀の広さを楽しみながら危うい姿勢で寝ころぶことができた。眼下に広がるのは、今でもこの家の前に広がる田んぼ。遠くに墓地を見ながら、目の前には鮮やかな緑の景色が広がっている。晴れた日だった。寝ころんだ俺の視界には鮮やかな青空と白い雲がコントラストをなしている。あまり落ち着きのない子どもだった俺は、なぜかその時に限って雲をじっと見つめていた。……動いている。人が、雲が動いていることに気付くのは一体いつのことだろう。それまでにも絵や写真で雲を見知っており、今思えば天気は変わるのだから雲も動いて当然であるにもかかわらず、俺はその事実に驚愕した。それからしばらく、俺は雲の虜になった。なぜか親や友達には話す気がせず、ただただその景色を頭の中で反復していた。 雪の日だ。昔の冬は今よりずっと寒かった。雪が降ると、先述の家の前の田んぼは大雪原に変わる。今よりずっと小さかった俺は、その処女地に敢然と踏み込んでいった。何のことはない、ただ誰も踏んでいないところを踏みたかっただけなのであるが、そんなことに血道をあげることができたのもまたこの土地なのである。たまにやってくるからこそありがたいこの場所を、これからも大切にしていきたい。普段は土地や家などのことを気にする柄ではないのだが、やはり夏休みになるとこんな話もしてみたくなるものだ。 |