恍惚コラム...

第332回

 8月6日。テレビでは甲子園の開会式だ。しかし、だからといって俺がこのまま高校野球の話をするとは誰も思っているまい。事実そのとおりである。毎年毎年、高校野球の報道に接して俺が思うのは、高校野球というスポーツの不自由さ、非合理性についてである。

 たとえば最近、高校球児が酒を飲んだとか盗みをしたという話題が目につくが、同じ事を同じ高校生がしたとして、ここまで騒がれるのは高校球児だけだろう。先日、出張に出た俺は「スーパーひたち」の車中から水戸駅のホームを見た。そこでは地元のヤンキー女子高生がインリンも顔負けのM字開脚でパンツを丸見えにしながらタバコをふかしていた。さすが水戸、その股間も糸をひくのだろうかと思わせる光景であったが、周囲の人々はそれを止めるでもなく、遠巻きに見守っていた。

 では、これが高校球児ならどうだろうか。あっという間に噂は広がり、警察から学校、そして高野連までを巻き込む大事件になるだろう。地元には新聞記者が群がり、翌朝のスポーツ新聞の1面を飾るに違いない。所詮、16歳から18歳までの子どものすることである。タバコも吸ってみたければ酒も飲んでみたいし、遊ぶ金が欲しければ群れて盗みに手を出すこともあるだろう。

 もちろん、それらは非難されてしかるべきことだ。それを野放しにしてはいけないことは分かり切っている。しかし、世間が水戸の女子高生にとる態度と高校球児にとる態度のこの違いは何だろう。俺は昔から、このように高校球児が特別視されることに違和感を感じてきたのである。

 水戸の女子高生の例は極端すぎるかもしれないが、たとえばどこかの学校の写真部員がタバコを吸ったとしても、さすがに新聞には載らないだろう。自分の母校では、某運動部の部員が靴の先に鏡をつけてスカートの中身を覗き見たという噂があったのだが、こちらは顧問の強権によって闇に葬られてしまった。そういえば、われらが写真部の部室にも部員の知らぬ間にヤンキーが忍び込んでタバコを吸っていたという事件があったが……。

 とにかくである。行伏について騒ぐのならば全ての高校生に対して騒いでいただきたい。騒がないのであれば、高校球児だけをやり玉にあげるのは止めにすることだ。この暑い夏の日。世の中にはさまざまな部活動に精を出す高校生がいるのである。今日は北浦和HOP(またか)にいたのだが、街中には大きな布張りのキャンバスを持った女子高生や陸上のユニフォームと思しき姿の中学生が歩き回っていた。きっとその美術部員が世に出ることはないだろうし、陸上部員とてプロになる確率はゼロに等しいはずだ。しかし、彼ら彼女らも世間を騒がす高校球児と同じ時代、同じ世代、そして同じ夏を生きているのだ。良くも悪くもプロへの道筋が確立されている高校野球ばかりが特別視されるようではいけない。すべての若人に幸あれかしと思う。

 それから、好きでやっているのかどうか分からない坊主頭も気になるのだ。自分自身は好きでしているからさておくとしても、サッカーがこれほど流行る時代に坊主頭にさせられているのは感心しない。事実、プロ選手に坊主頭など皆無だろう。坊主にすることで野球部員だということを世間に示し、それ自体を犯罪への抑止力にしようとしているならばそれは間違っているのではないか。元来日本土着のスポーツではない野球を、精神修練の名のもとで教育者の都合の良いように解釈している姿勢……。単なる野球嫌いの戯言かもしれないが、これはこれで一つの意見だと思うのだが如何だろうか。


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