恍惚コラム...

第331回

 今の会社に入社して以来、通い続けている歯科医院がある。四谷駅からほど近いそこは雑居ビルの1階。周囲にはキリスト教関係の書物や用具を売る店が立ちならび、上智大学の学生が闊歩する街なかである。今では都内に勤めるようになった俺だが、いつもの本郷3丁目とは違った雰囲気が流れるこの場所。何しろ新宿区である。以前の仕事で幾多の辛酸を嘗めてきた地だけに、思いはひとしおだ。

 今朝は10時30分に予約を入れていた。これまでに行われてきたひととおりの処置を終え、あとは機械的歯面清掃を残すばかり。つまり、今日はこの2年あまり続いた通院歴に終止符を打つ記念すべき日だったのである。ところが、俺は手帳にも診察券にも10時30分と書いておいたはずなのに9時30分を目指して出かけてしまったのだ。そのことに気付いたのは、すでに埼京線の上り列車に乗り込んだ後のこと。俺は「まあ、漫画喫茶にでも入ってしのごうか」と思い、一路四谷駅へと向かった。

 その歯科医院の数件先に漫画喫茶があることを俺は知っていた。立派なチェーン店ではなく、個人的に営業しているような小さな店。上智の学生ならいくらでも暇をつぶす方法を知っているのだろうが、田舎者の俺は四谷駅を降りると一路その店を目指した。漫画喫茶である。漫画喫茶といえば大体が終日営業しているものなのだが……。

 朝9時45分。店の入り口に立つと、果たしてその店は閉まっていた。エレベータには脚立を載せようとする作業服姿の男。否、別にその店に工事が入るような雰囲気でもなかったのだが、俺はその様子からして嫌な予感がしていたのである。そして俺は路上の人となった。

 新宿通りを西に向かって歩く―どこにでもあるファミリーレストラン、どこにでもあるドラッグストアを左に見ながら行くと、なぜか突然児童公園が現れた。土曜の朝とはいえ、とても子供らが歩いている風には見えない街中にである。俺はさっそくその敷地に入り、ベンチに腰掛けた。

 真っ黄色な柵に囲まれたブランコと、そそり立つ大きな街灯。だれもいない日陰に広がるそこは、なぜか原色に塗られた遊具に満ちていた。児童公園と名付けたからには遊具を置いておかねばならないという役人の気遣いであろうか。それともホームレスが定住しないための作戦なのだろうか。いつものハイライトに火を点け、俺はその景色を見るともなしに見ている。視界の片隅に公衆便所。そして俺は、あの日の記憶に苛まれた。

 新大久保の団地の便所に閉じこもって酒を飲んだ話はすでに書いた。だが、「新宿+公園+公衆便所+暇つぶし」というシチュエーションに対し、俺はさらに印象深いエピソードを持っている。あれはもう7、8年前の話であろうか。俺はある日、歌舞伎町の外れの店に集合・撮影補助という仕事を負ったのだった。たしか、早春のよく晴れた午前中のこと。クルマでやってくるカメラマン氏とちがい、俺はつねに電車で移動していた。毎回違う場所、しかも遅刻は許されないため、いきおい15分前、30分前には現地のそばにいることとなる。そこまでは普通の一日であった。これまた歌舞伎町には似合わない風情の公園の隅に俺は座り、相変わらずハイライトをふかしていた。

 だが、そこに突然2人の警官が現れたのである。そして、今見ているのとほとんど同じタイプの公衆便所のドアを叩き、無理矢理こじ開けようとしたのだった。しばらく何か言い合う声が聞こえていたのだが、結果、一人の男が中から引きずり出された。見ると、その男はどうやら「家財道具」一式をその便所に持ち込んで暮らしていた模様。おそらく近隣の住民からの苦情が出たのに違いない。中にいたのは、俺と大して変わらない年齢の男。その男が、目の前の公衆便所の中で暮らしていたという事実。「外の方が暖かいんだから出てきなさい」と諭す警官の言葉が、当時食うや食わずだった俺の心に今でも残っている。新大久保の例をひくまでもなく、当時の俺にとってはむしろ公衆便所の中の方が快適だったから……。

 だから、俺は今でも公園の公衆便所には誰かが住んでいるような気がしてならないのだ。今日見た便所の中に人が住んでいたかどうかは知らない。それにしても、人の記憶は何をきっかけに湧き上がってくるかわからないものだ。ただの便所に人が住んでいるとは俺もさすがに思わない。しかし、その場所、その気候、その雰囲気などによってフラッシュバックする記憶。俺はまだまだ、自ら気付くことのない記憶を持っているのだろう。そんなことを思わされる一日であった。



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