第330回
世間の若人に長い休みがやってきて、電車の中が空くようになってきた今日この頃だ。長い梅雨はいまだに明けないが、夏は確実に近づいてきている。電車の中で、傘の持ち方に悩む日々とももう少しでお別れできるのだろう。 昔から、傘やライターといった小物類への縁が薄い俺のことである。最近では高級な傘を持つのが流行っているそうだが、俺は一本の傘を長い間持ち続けられた試しがない。はじめから高いものを買って大切に使おうというつもりがないからいけないのか。それとも単にだらしないだけなのか。それは不知だが、とにかくライターと傘だけはすぐに自分の掌を通り過ぎてゆく。 最近ではビニール傘がたいへん一般的になっている。これはわれわれ傘ナクシストにとって福音だ。子どもの頃にはむしろ高級品と見なされていた透明ビニール傘が99円ショップでも買えるご時世。昔の小学生は黄色いナイロン傘を持たされるのがお決まりのスタイルだった。そんななか、さしたままでも前を見ることのできる透明ビニール傘は子供達の憧れの的ではなかったか。今では誰もが持ち歩くその傘を見て、何か有り難くないものを感じる最近の俺である。雨上がり、駅の切符売り場や路傍のガードレールに平然と忘れ去られているさまを見るにつけ、あまり傘が安くなるのもいかがなものか。こう思うのである。ちょっと突風が吹くと逆さになってしまうため、なくす前に買い換えねばならない場合が多いのも悩ましい。 ところで、俺は先日どうにもなくしづらい傘を手に入れてしまったのである。ある朝、職場にて。違う雑誌の編集長が、申し訳なさそうな口調で1本の(1,000円はしそうなナイロンの)傘を指さしたのだった。「これ……使ってよ」その言葉をとっさに理解できない俺。俺はいつものビニール傘を置き傘にしていたはずだったのだが……「ここに置いてあったビニール傘を持って喫茶店に行ったんだけど、置き忘れてきちゃって……」つまり、彼は俺のビニール傘を勝手に持ち出し、そのあげくになくしてしまったことを詫びているのだった。 たしかに、置いてある傘を勝手に持ち出し、さらに紛失するということは責められてしかるべきだろう。しかしである。ここがビニール傘の悲しさなのだが、あまりにもデザインに個性がないため、そのなくなった傘が若林のものだという確証が双方ともに持てなかったのである。言われてみれば俺の傘だったのかもしれないが、ビニール傘なぞはそこら中に転がっている。その傘置き場にも、類似のビニール傘は数本あった。9割方、俺のビニール傘が持ち出されたことは間違いないところなのだが……これが上述の歯切れの悪い言葉につながったのである。もしかしたら、彼が声をかけるべきは俺ではなかったのかもしれないし、俺はその申し出を断るべきだったのかもしれないのだ。 だが、その日は傘がなければ昼食にも出られない天候であった。そこで、俺は貰ったとも借りたともいえないその微妙な傘を使い始めることになったのである。それから10日ほどが経っているのだが、その傘は何とか俺の手許に残っている。あんな安いビニール傘が1,000円ほどのナイロン傘に化けた幸運。しかし、誰もその傘を俺にくれるとは言っていないのだ。これはどう見てもなくすわけにはいかないであろう。決して高級な傘ではないが、たいへん扱いに困る傘なのである。もしかしたら、この傘が俺史上初の「天寿を全うできる傘」になるかもしれない。 |