恍惚コラム...

第329回

 中田英寿が引退を表明した。サッカーのサの字も分からない俺のことである。中田がどうなろうがジダンが頭突きをしようが、はたまたドイツワールドカップでワースト3になろうが(結構詳しいではないか)知ったことではないのだが、引退に伴って発表した文書「人生とは旅であり、旅とは人生である」には思うところがある。

 何でも、この文書が発表された翌日には学校の授業で使いたいとか、はたまた来年度の道徳の教科書に掲載したいというオファーが殺到したそうではないか。これは驚くべき事だ。世界的な大スターが衝撃の引退。そして、こんな味のある文書を発表して自身は記者会見すら開かないのだから恐れ入る。だが、この程度の話なら世間にいくらでも転がっているのではないか。20代の終わりで人生を達観したような文書を小中学生に読ませることに対する是非がまったく検討されていないのではないか。

 ただでさえ、人々が生き急いでいる昨今である。誰でも大学に入れる時代にはなったが、名のある大学を出なければ結局は「ニート」や「年収300万円生活」が待っている。結果、私見であるが自分の学力を悟った子供たちにはごく早い段階で自分の行く先が見えはじめるのであろう。性犯罪も親殺しも、結局は自分の先が見えてしまうからこその過ち。そこで、目の前の邪魔者は迷うことなく消し、目の前の女陰には即座に捩じ込む。自分にとっていずれは必要になるモノやコトは何なのか。将来のために今なすべき事は何なのか。結局、自分を助けてくれるのは周囲の人間でしかないこと―われわれはそうした事を知りづらい時代の只中にある。

 教科書の権威はずいぶん堕ちてきたはずであるが、子どもらにとってそこに躍る活字は今でもやはり正義であるに違いない。モノを盗った盗られた、誰それと喧嘩した、といったエピソードが満載の道徳の教科書を、20年前の俺は何か見てはいけないようなものを見るような気持ちで読んだ。「道徳」という言葉の響きといい、他の教科書とは毛色の違う文章といい、これを読んでおけばきっと周りの人とうまくやっていけるに違いないと思わせる何かがあった。それはむしろ、ここで言うことを聞かないと……という緊張感であったかもしれない。

 しかし現在、道徳の教科書は現代の偉人(松井秀喜など……)、言い換えれば若い頃から自分の才能を開花させた人の話題を巻頭にすえている。間違えないでほしい。誰もが松井や中田のような素質を持っているわけではないのだ。そうした人々の成功談や失敗談が、われわれ凡人にそのままあてはまるはずがない。そして松井はともかく、29歳でワールドカップに出てサクっと現役引退などという中田の言葉のどこに教育的意義があるのだろうか。たしかに、中田英寿は良い意味で生き急ぐことを許された人間なのだと思う。しかし先述のとおり、世の中の多くの子供達は良い学校に入るだけで精一杯なのだ。あまりに大きな夢を見せることは、かえって大きな喪失に繋がるのではないかと思うが如何。

 俺がここでどんなに騒いだところで、来年の道徳の教科書にこの文書が掲載されるのは間違いないであろう。それならばせめて、その教科書を取り扱う教員各位には十分気をつけていただきたい。中田なりの苦労を、そしてこのエピソードは中田ならではのものであることをしっかり伝えていただきたい。誰もが人生の旅を旅している。年をとれば、あの程度の文章は誰にでも書けるということをきっちり教えていただきたいものだ。それでこそ、わざわざ高い金を払って転載した甲斐があるというものではないか。なお、俺個人は中田氏に対して何の感情も持っていないことを明言しておく。

 それにしても、やはり道徳の教科書では市井の人々の苦労話を読みたい俺である。


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