第328回
女性誌の中吊り広告には相変わらず過激な言葉が並んでいる。「あなたに必要なのは“若さ”じゃなくて“テクニック”」を標榜する「NIKITA」誌(主婦と生活社)などはその急先鋒であろう。誌面でしばしば使われるキーワード・「コムスメに勝つ!」という気概は素晴らしいと思うのだが、実際の誌面には、バリバリのキャリアウーマンにさえとても相応しくないモノや場所が目白押し。立ち読みするたびに「艶女(アデージョ)」にだけは捕まりたくないなぁと思う30歳艶男(アデオス)(笑)である。 しかし、今日の俺はそんな欲望ムキダシのNIKITAの話をしたいのではない。問題は、昨今の女性誌をはじめ、世間に蔓延する「何にでも『愛され……』を接頭語にしたがる最近の風潮」である。「愛されキャラ」「愛されコーデ」「愛されホテル」「愛され花嫁」……しまいには「愛されカール」まで飛び出す始末である。花嫁は愛されていいと思うが、愛されるホテルとはいったいどういう意味か? いや。確かに「愛され」という言葉は耳に心地よいのだ。「愛されキャラ」のOLはきっと、彼氏もしっかり抑えつつ職場でも人気者。決して主張しすぎない性格や顔の造作でありつつも、どこか芯の通ったイイ女であるはずだ。合コンに出席しても、「あたし、彼氏いるんですけどぉ〜」とか言いながら男をじらし、それでいて誰にも憎まれないタイプ。職場でお茶を入れて廻るたびに一言二言声をかけられ、「いや〜ん、課長ったらぁ」なんて嬌声を発しては男性社員の胸をむずがゆくしているに違いない。まったく素敵な女性ではないか。また、「愛されコーデ」の女性はどうか。愛されコーデの定義はまったく不知な俺だが、きっと淡いエメラルドグリーンのカーディガンなんかを楚々としたカンジで着こなし、こちらもおそらくたいへん理想的な女性なのではないか。 しかし、ちょっと待っていただきたい。考えてみればこれほど他力本願な言葉もないのではなかろうか。その「キャラ」や「コーデ」、はたまた「カール」自体が愛されてしかるべきものだと言いたいのかもしれないが、どうもこの言葉の使われ方を見るとそうでもないような気がするのだ。つまり、「これさえ着ておけば(着ている人自身が)モテモテ」「こうカールしておけば(カールしている人自身が)モテモテ」……そこには自分の内面を磨く努力や必死に男に食いつこうというガッツが感じられないのだが、如何だろうか。ひとまず「愛され」を身につけていれば愛されるに足る条件を満たしてしまっているように錯覚されては困る。「愛され」を実践し、不特定多数の男性に声をかけまくられて困るのは彼女たち自身なのである。そのなかからより最適な男性を選び取りたいという狙いがあることも分かるが、それでは言い寄ってきた男たちに申し訳が立たないであろう。それならば、NIKITAのような肉食テイストの方がよほど潔い。そういうギラギラした迫られ方も十分アリだ。 また、何をもって「愛されている」のか、その定義も目標とする男によって千差万別である。上述のような楚々とした女性が好きという男は多いだろうが、誰もがファッション誌から飛び出してきたような女性が好きだともかぎらない。それこそ下北沢あたりにいるようなフォーク風の女性が好きな人もいるだろうし、渋谷のヤマンバギャルでなければ勃たないという御仁もいることだろう。どこの誰を狙いたいのを明確にしないまま蔓延する「愛され」。「ロハス」以来、ひさびさに違和感のあるブームである。 有り体な言い方になるが、これこそが現代の若者の寂しさを体現する言葉のように感じる。誰にでも愛されたい、波風は立てたくない……。世の中そんな巧い話ばかりではないのである。 |