第327回
長いこと文章を書いていれば、その中に間違いが出るのは当然ともいえる。思えば幣サイトでもカメラの機種名を間違えてみたり、某氏の経歴? だかを間違えてご迷惑をおかけしたりした。だが、これを仕事でやるとなるとまた違った恐ろしさがあるのである。 しようとすればいくらでも仕事が湧きだし、しようとしなければそれこそ毎日定時で帰れそうな出版社の日々。自分がいるところにかぎらず、この仕事というのは得てしてそういうものなのではないかと思う今日この頃だ。編集・校正といってもそのレベルはさまざま。一字一句にあたって辞書と首っ引きになり、すべての出来事に対して電話で確認を取っていたら仕事はいつまで経っても終わることはないだろう。さりとて、著者が書いた原稿や内製した記事などを右から左に流していては編集者の存在する意義がまったくなくなってしまう。この中間のさじ加減がたいへん重要なのだ。とくに、医療の一端を担うわれわれの仕事にあっては内容の正確さは緊要の課題である。 だがここだけの話、いちばん恐ろしいのはスポンサーだったりもする。少なからぬ金額が動き、同じ内容が数万部も印刷されてしまうのだから、読者の誰よりも誌(紙)面を読み込んでいるのはスポンサーなのである。一般の読者が小さな誤植にクレームをつけてくることはまずない。そのかわり、スポンサーから電話がかかってきた時―小心者の俺はまずクレームだと思って対応するようにしている。 で、われわれの編集部でも先日非常につまらない誤植を出してしまったのであった。詳細を書くとどこの誰だか分かってしまうのがもどかしいのだが、要は今年で90周年の企業であるところを「100周年」とやってしまったのである。10ポイントほどの文字を2箇所。しかも、違うページではきちんと「90周年」と表記されていたのがもどかしい。抽象的な話になるが、この話題はもう少し続く。実は、この誤植のそばには別な企業の100周年……という部分があったのだ。つまり4つ用意された2センチ角ほどの囲みを、「◎◎100周年……」×2、「△△90周年……」×2、とすべきところ、その見開きでは数字がすべて100になってしまったというわけだ。 俺はこの事件により、改めてコピー&ペーストの恐ろしさを認識することとなった。コピペはあくまでも安楽である。オブジェクトも文字も、そのまま違うところに移し替えることができる。賢明な読者各位であればすでにお気づきのことと思うが、要はこの事件の原因はオペレータが「◎◎100周年……」をコピペしたときに「◎◎」を「△△」に差し替えたきり、数字の部分を放置してしまったことにあるのだ。操作したのは俺自身ではないにせよ、何度も校正紙を見たのだから連帯責任である。戦時中の隣組のようなものだ。自分の斜め前に座っているオペ嬢のPowerMacの中でこんな恐ろしい事態が進行していようとは……。 俺はこの事実をすぐに知ることはなかった。日帰り出張で直帰となった翌日、掲載紙のその部分にマルがつけられたものが自分のデスクに置いてあったことによって知ったのである。大体、伝言メモにロクなものがないのはいつものことである。昼間外出し、夕方帰社したときに伝言メモが机に貼り付けられているときの憂さといったら……。大概は数カ所に電話すれば片付く内容なのであるが、今度ばかりは現場で始末できない問題だ。結果、俺はボーナス前のこの微妙な時期に部長に平謝りし、そのスポンサーに至急電話を入れて詫び状まで書くことに……。幸いにして先方はさほど怒り心頭というわけでもなかったのであるが、創業以来の大スポンサーであるがゆえに社内では念には念を入れた対応がなされたのだった。 たとえ決定的なミスが発生する頻度が1/100であっても、実際にそれが起きる確率は1/2であると思え―我が社の校正の掟である。1/2の確率を数ページにわたって積み重ねること。それはまさに薄氷の上を歩むことなのかもしれない。だが、何かを人に伝えたいという意志があるかぎり俺はこの仕事を辞するわけにはいかないであろう。各位にはこの場を借りてお詫び申し上げるとともに、今後とも精進していくことを誓いたい。
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