第325回
先週の更新が落ちたことからもお察しの通り、さる5日から働きづめの俺である。最近どうもネット上での視線を感じるので会社のことは書かないでおくが、まあそういう事なのだ。土日の仕事は、大概が取材という名の学会出席。日々高尚な議論が繰り広げられ、凡人の俺も頭が良く気になった気にさせられるのがたまらないのである。ちなみに明日(18日)も学会だ。●学教育(サーチエンジン対策だ)におけるIT化について語るべく、アメリカから御大がやってくるのである。今までテレビでしか見たことのなかった同時通訳用のイヤホンを耳にするのもまたオツなものであろう。それにしても、なんでアレは耳へのフィット感をまったくもって無視しているのか。読者の皆様にもその機会があれば、涙を流して同意していただけるにちがいない。 ネット上での視線、と書いた。ネットデビュー以来はや8年あまり、ほとんど本名で出続けてきたツケが今さらになって廻ってきたのである。 同じ部署に昨年入ってきたK君の話である。さる2月に第一子を授かった彼はその子を溺愛しているのだが、それでも生まれたての子どもはケダモノである。泣きたいときに泣き、眠りたいときに眠り、乳房をむさぼる。いくら子どもが可愛かろうと、その傍若無人さに睡眠時間を削られるのは世の常だ。誕生直後は毎日毎日グロッキーな姿を見せていたので俺も心配していたのだが、最近はようやく人間としての生活リズムを獲得しつつあるようで何よりである。 しかし、そんな彼にもいまだに眠れない夜がやってくるらしい。会社では気丈に振る舞っている彼だが、眠れない辛さは子どものない俺にもよく分かる。そんな夜、消閑の具に何を用いるか。本、テレビ、ネット……彼はもっぱらそのなかからネットを選んでいるそうなのだが、その方法が良くなかった。ある晩、彼はこともあろうに勤め先の社員の名前を順繰りにサーチエンジンにかけていったそうなのである。ずいぶん懐かしい遊び。ネットが手段ではなく、まだ目的であった頃。たしかに俺もそんな体験をしたことがある。しかし、ネット草創期には見て楽しいようなページには出くわさなかったのだが……。 果たして、俺の名前が検索される瞬間がやってきた。本日現在、google上ではなぜか6番目に「カメラカタログに見る用語事典 PDF版」が表示されているのだが、彼がこれを見たかどうかは不知である。だがある日、彼は俺が某掲示板に書いた「写真部つぶれちゃったよ〜」話のURLを俺のデスクのIPMessengerに送ってきたのである。その内容に関する感想は一切聞かれず、ただただそのURLのみが表示された画面を見て俺は慄然とした。そして、俺の視線の先には微妙な笑いを浮かべる彼の姿が……。 本名で掲示板、本名でmixi、本名でホームページ……何しろ物騒な世の中である。方々に本名を晒す危険性は百も承知している。しかし先にも述べたとおり、8年も前から今のスタンスを貫いている俺のことである。今から白々しいハンドルネームを考え、それでネットに出て行くことができるだろうか? 赤の他人の掲示板に、どこの誰とも分からない(まだ考えてもいないわけだが)ハンドルネームで挨拶ができるだろうか? mixiなどのSNSサービスとて、参加者が本名で登録していなければ旧交を温めるという趣旨に悖るのではないだろうか? そんなことばかり考えている最近の俺である。ネット草創期には、多くの人が本名を晒していた。もはやそんな牧歌的な時代ではないのは分かっている。便利になればなるほど自由が奪われる今の時代。 追伸 |