恍惚コラム...

第323回

 先般の連休中に帰省したときの話である。父は俺に突然こんなことを言った。「しかしお前には金をかけられなかった」……実家の家族と妻を連れての団らんで、たまたま大学時代の話になった矢先のことであった。ご存じのとおり、お写真の大学などを出てしまった俺である。どういう話の流れかは失念したが、ともあれそういうメシの種にならない大学にいる奴らは金持ちだ、という話題であった。

 大学時代の俺はバイト先に入り浸っているか、パチンコ屋にいるかのどちらかだった。バイトでは月8万だかを稼いでいたが、そういわれてみれば実家から小遣いをもらっていた記憶がほとんどない。たしかに2、3万の小遣いはもらっていたような記憶があるのだが、写真という崇高な芸術活動とそれに真っ向から対立するパチンコ活動によって日々搾取されていた俺に宵越しの金はほとんどなかった。パチンコで2、3万もスればそれこそ食事もままならず、学友が段階露出によって最適値を探っていた最中でも俺は一発で露出を決めていた。

 大学の「広告写真」の授業でのお話である。そこは4×5インチサイズのカメラによるプロフェッショナルかつアーティスティックな撮影技術を追求する梁山泊。かなり専門的な話になるが、蛇腹の前にレンズが設けられ、その後ろの部分をマント状の布をかぶって覗くカメラの話をしているのだと思っていただきたい。そうしたカメラには一般のロールフィルムではなく、ほぼ絵ハガキと同じサイズの「シートフィルム」が用いられる。これを1カットごとに交換しながら撮影を進めるのだが、それは同時に1カット現像するごとに余分に金がかかることを意味していたのだ。同じ被写体を撮影しても、「絞り」のセットによって写真の明るさは変わってくる。関係のない方々にとっては些細な違いなのだが、これにこだわるのが梁山泊の梁山泊たるゆえんである。そこに集う学生たちは複数枚の「同じ」写真を現像しては薄皮一枚ほどの明るさの違いに一喜一憂していたのだが、ともかく俺はその数百円を節約するために努力していた。つまり、である。撮影の段階では一応数枚の段階露出を行うのだが、気合いでもって1枚しか現像に出さないという技なのである。結果、どうなったか。俺の露出決定力は極限まで(?)高められ、つねに適正露出の写真を提出するに至ったのだ。周囲の学友が4〜5枚現像しているのを尻目に適正露出を叩き出すのはたしかに快感ではあったが、今思えば自分は単なる貧乏人だったのである。

 エピソードはこれだけにとどまらない。週に何度も飲みに行く学友。なぜか常に最新のカメラを持っている学友。銀行でも襲撃しなければ手に入らないっぽいカメラを持っている学友。仮面ライダーもかくやと思わせるバイクに乗っている学友……俺はこれらの対極にあったし、本当にうぶだった。30歳を迎え、自分の父親に憐れみをかけられるまで自分の貧乏さに気付くことができなかったのだから。当時の俺にとってカメラは写ればいいし、小遣いは自分で稼ぐものだった。ちょっと貧乏かもしれない、と思うことがないわけではなかったが、たいへん有意義な学生時代を送ってきたと胸をはって言うことができる。ただ、学生街で夜な夜な飲み歩く学友たちについて行くことができなかったことだけは悔やまれるが。

 デジタル時代を迎えた現在ではこうした悩みもなくなっているのだろう。カメラは昔に比べればだいぶ高くなってしまったが、何しろいくら撮影してもタダ同然なのである。いくら段階露出をしようが、アクロバチックな撮影に挑戦しようが、プリントアウトさえしなければハードディスクをほんの少し浪費するだけ。これを機に新しいアートが生まれることを願ってやまない。

 現在でも家の押し入れの中にはその時代に撮影された未現像フィルムが大量に眠っている。急いで現像しなかったからにはたいしたものが写っているはずもないのだが、それを見るにつけあの情けなくも懸命に生きていた日々が蘇ってくる。



メール

帰省ラッシュ