第316回
今、巷で話題騒然なのが例のアレである。Appleが4月5日に発表した“Boot Camp”。Intel搭載Mac上でWindowsをネイティブで動かそうという不埒なソフトウェアだ。現在はベータ版なのだそうだが、この冬にも登場のMac OS 10.5には標準搭載されようというのだから穏やかでない。 そもそも、ハッカーたちはIntel Macの登場直後からWindowsをネイティブで動かそうと試みてきた。ここをお読みの諸兄なら、その経緯は十分ご承知であろう。当初、BIOSを搭載していないIntel MacにWindowsをインストールすることはとうてい不可能だと思われてきたわけだが、某サイトが懸賞金をかけてこの方法を募った結果、つい最近になってその方法が解明されたわけだ。 それにしても、このタイミングを見計らったようにApple自らが公式なインストール法を提供したというのは何とも意地が悪い。恐らくAppleはIntel Macの開発途上からWindowsのインストールを念頭に置いてきたのだろうから、きっとハッカーが悪戦苦闘するさまを見てほくそ笑んでいたに違いないのだ。まあAppleにしても、すぐに判断を下すわけにはゆかなかったのだろう。ハッカーの熱狂度を見て、世間の要望を推し量ろうとしたのかもしれない。 かくして目の前に現れた、この不埒なソフトウェア。ある者には理想を、そしてある者には落胆を与えるであろうコペルニクス的転回だ。個人的にはAppleデザインの筐体であのブルースクリーンと美しくないフォントを見せつけられるのは勘弁願いたいのだが、どうも評判は悪くないようだ。これで2台あったMacとPCを1台にまとめられるという意見や、“どちらも使える”Macがパソコン初心者によく売れるようになるという意見……。御説ごもっともだが、それでもちょっと待ってくれと言いたい俺である。 Macを使うということは、そのアーキテクチャをも含めて使いこなすことではなかったのか。68系、PPCといった独自の(PCにとっては標準でない)CPUをベースに、AppleがハードウェアとOSを同時に供給するという世界観こそがMacの存在意義だと思ってきた俺にとって、やはりあの筐体であの画面を見るわけにはゆかないのである。ある人は「iPodは(事実上)DOS/Vの周辺機器だ」と言ったものだが、たとえばMac本体が何のエミュレーターもなしにWindowsを走らせ、さらにその状態でiPodに接続されるようになってはMacである意味がまったくなくなってしまう。また、俺はDOS/Vマシンの筐体デザインはまだまだAppleに追いついていないと考えるものだが、この勢いに乗ってDOS/V各社がデザインを強化してきたらMacの存在意義はますます薄れるのではないだろうか。俺は決してDOS/Vの存在意義を否定するつもりはないが、Macを買うほどのパソコン好きなら安いDOS/Vマシンを買ってディスプレイ切り替え機にでも繋いでおいた方がよほどすっきりするのではないだろうか。もし、自分がせっぱ詰まってDOS/Vを買うのならばきっとそうするはずだ。何より、同じハードディスク(パーティーションで分かれているといえども)に相容れない2つのOSが入っている危うさが我慢ならない。 たしかに、これとは逆に「MacOSがDOS/Vマシンで走る」ことが起きなければMacの独自性は保たれるのだろう。しかし、この試みも一部ではすでに始まっているのだ。Appleが何年経っても売ろうとしないジャンルに「サブノート」があげられるが、たとえばLets'note(松下電器)などにOSXがインストールできるようになったらどうなるか。日本国内ではこうしたサブノートの需要が非常に多く、iBookの重さですら敬遠するユーザーは多い。俺ですら、あの軽さとバッテリー持続時間でOSXを持ち歩けるのであればフラッときてしまいそうだ。今後、ハッキングにせよ何にせよDOS/VマシンにOSXのインストールを許すようなことがあればAppleは本気でDOS/Vメーカー全社を相手にしなければならなくなるだろう。果たしてそのリスクを負う覚悟はできているのだろうか。 幸い、iPod関連ビジネスで潤っているAppleのことである。何度も倒産の危機に見舞われ、出すマシン出すマシンが売れなかった時代が嘘のようだ。Mac本体が売れなくなっても何とかなるのかもしれない……。しかし、である。 このPowerBookを手放してIntelMacを買ったら、とりあえず一度はインストールを試してしまいそうな自分が怖いのだ。 |