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恍惚コラム...

第312回

 もう何週間目になるだろうか。今週のコラムも日曜日の社内からお送りする。3月といえばもう春爛漫なわけだが、気候はどうもそれについて来ない。オフィスでひとりキーボードを打つ俺の指もかじかみ気味である。かじかみ気味といえば、一昨日の夕方。寒気がするので早めに家に帰ったら、なんと38度の発熱。この忙しいときにこんなことになる己の弱さを恨みつつ、その夜から昨日いっぱいまでは寝込んでいた。そして今日(3月5日、日曜日)は出勤。恐るべきは診療報酬だ。この話をあまり詳しく書くと首が飛ぶどころかFBIやKGBに追われる身になってしまうので避けておくが、もうかれこれ2、3週間は毎晩終電。毎晩弁当。近所の弁当屋の出前はすべて網羅しつくす勢いであったのだ。自分などは基本的に月刊誌(紙)の編集者なので忙しいといってもたかが知れているわけだが、これが週刊誌のそれだったら、と思うと恐ろしくなる。毎週少年サンデーやら週刊文春やらを読んでいる俺だが、「いったい何人で作ってるんだろう?」「どのくらい先まで原稿がとってあるのだろう?」という疑問は尽きない。月刊の16面タブロイドを実質3名で作っている俺もまあ暇ではないのだが、これが隔週に、そして週刊になったら……と思うと、世の先輩編集者には頭が上がらないのである。

 週刊で編集者、といえば、ある社員に「ホントは漫画の編集者になりたかったんですよねー」と言われたことがある。そして、「若林さんならもっと上(の会社)に行けてたんじゃないですか?」と氏はたたみかけた。正直まんざらでもなかったが、仕事の上下、という言葉を蛇蝎のごとく忌み嫌う俺は後半の言葉を右から左へ流し、氏に「(ちょいキレ気味で)どうして」と訊き返した。氏がどんな返事をしたかは正確には忘れてしまったが、俺の頭には漫画のなかに出てくる「いかにも」な編集者の姿が現れ、ああやっぱり普通の人はああいうのが編集者だと思うのだろうな、と少し寂しくなった。「漫画の肉」は実在しないけれど、編集者は音羽やら神田やらにうじゃうじゃ実在する。そこで俺は自分が出版社に潜り込むまでの紆余曲折っぷりを正座させて聞かせてやろうかとも思ったが、場所は今俺が座っているこの場所である。どんなプレイと間違われるかもしれないのでやめておいた。少ししてみたかったが。

 運・才能・縁……氏は「自分の理想の高さと、実際の能力の違いに悩んでいる」とも言った。こんな青臭い言葉を聞くのは何年ぶりだろうか。そして、その言葉を臆面もなく口にする人が目の前にいる。これは良いこと? 悪いこと? いつもの文体と大分違うが、ご容赦願いたい。それほどまでに深遠かつピュアな言葉がまだ俺の周りにあったなんて、知らなかった。

 そこで俺はこの数週間、年若い氏にかけるべき言葉を考えていた。原稿を依頼し、締め切りを守らない著者に電話をし、記事のリード文を書き、取材に出てはつまらぬネタと憤慨しながら考えていた。毎晩眠くてトランス状態に入り、終電では当然満席の椅子を睨み付けながら考えていた。折しも春の風が吹きはじめている。春の風は俺の過去を刺激する。死ぬ間際には走馬灯のように人生を振り返るものだというが、春風にはすこしだけその効果がある。シンプルな言葉で。時間をとらせないように。できればこの走馬灯に写るような言葉がいい。

 「自分の思いで人は変えられないと知るための30年だった」

 あまりにも寂しい一言かもしれない。しかしこればかりは真実だ。他力本願には偏りたくないが、このくらいの気持ちで生きていて悪いことはないだろう。あとはいつどこで、どんな声色でこれを語るか。それが今の俺の楽しみである。



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