9月の声を聞くと、何だか急に過ごしやすくなった様な気がする俺ってやっぱり単純な奴なんだろうか?実際に今日(1999.09.05)なんかは気温は結構高かったが、湿度は低くてそれはもう大洗濯大会だったわけよ>関係ないか。ともあれそろそろ秋。そして9月はセプテンバー。セプテンバーと言えば文化祭のシーズン。駅の掲示板なんかに文化祭のポスターが貼られ始める季節となりましたな。 いやー、文化祭は燃えたね、しかし。何にというわけじゃないけど燃えた。写真を見て褒めてくれる人も別段いなかったし、ステキな女子高生との出会いもなかったし、模擬店を開いて大もうけなんて話も勿論なかった。でもね、何だかこう言い知れぬ興奮があったわけよ。「今日はどんなオカズで抜こっかな〜」的なね。大体があんな僻地(勿論、褒め言葉だ)の学校で写真を見せびらかす事自体オナニーに近い行為なのだからそれは当然とはいえまいか。う〜ん、これって公開オナニー??何だかお下劣だけどね。 ウチの高校では毎年教室を一部屋借りて写真を展示してたんだけど、この一部屋分の写真を集めるのは大変だったよなあ。何月何日までに写真を焼いて見せろ、と俺@部長は言ったんだけど、なかなかそれが集まらなくって。集まったのはいいけど何だかヘコヘコな作品群だったりして、でも俺、弱気だったから撮り直せとか出品するなとか言えなかったんだよね。でもまあ仕事じゃないんだから、と今では思えるけど。当時はもう苦心惨憺したもんだが・・・。それはそれで個性的な写真が集まったんじゃないかという事。手練手管をマスターした人の作品よりも、そこにはネイティヴなパワーがあるんじゃないか。確かにカメラの使いこなしや、写真として「見せる」技的には劣っているかも知れないが、その人がどんな所に興味を持ってカメラを向けたのかということを素直に感じられる写真ができるのではないかと思う。最近、若い人のスナップ写真が面白いと言われるのも、こうした理由からなのではないかと思う。それらは理屈で撮った写真よりどれほど面白いことか。でもそれじゃ仕事にならないんだよね〜、と思ってしまう俺は悪い大人。 そんなこんなで作品が揃うと、ウチの学校では文化祭の前日は授業がないので、そこで展示の作業をしたものだ。「疲れた」とか「ウゼえ」といって速攻で帰る奴等を尻目に、われわれ写真部員(全員とは言わん!!)は鋭意、準備に取り掛かっていた。「ビスポール」って皆様御存知ですか?分かりやすく言うと、「突っ張りポール」の縦ヴァージョン。写真関係者の方には「ポールキャット」もしくは「オートポール」と言ったほうが分かりやすいだろうか。これを複数本教室に立て、その間に穴の開いたボードを取り付け、そこに写真を固定して展示するのである。この「ビスポール」はスチール製で、その重いことと言ったら・・・。俺達はそいつを体育館の床下から取りだし、別な建物の2階にある展示室まで運んでいたのである。実際、展示の作業の殆どはそのために費やされたと言っても過言ではない。2,3時間にわたるこの作業は写真部員に課せられた聖なる試練なのである。この作業によって写真部員は忠誠心を量られるのだ・・・? さて、パネルの設置が終わるとけっこういい時間になってしまう。そしてここからが本番の、写真の展示作業だ。とは言っても何だか写真の見栄えなど気にせずに先着順に飾っていた気がする・・・飾ってしまってからちょっと動かす事はあったかもしれないが、実にまあいい加減なものであったのだな。それから顧問の先生が撮ったカラー写真もあったなあ・・・。海外旅行や、子供の写真。でも情けないことに、これでスペースを稼いでいたのも事実・・・。 俺はその写真が飾られた後の夕方の景色が好きだった。誰よりも遅くまで部室・展示室に残っていたものだ。いや、何をしていた、というわけではないのだ。遠くに運動部の掛け声が聞える静寂の中を、ただその場に佇んでいたに過ぎない。しかし俺はその光景を生涯忘れる事は出来ないだろう。遠くに野球部のナイターの照明と、その背景に広がる夕陽。そして仄暗い廊下の蛍光灯に照らされた、明日の展示を待っているパネルたち。下世話な話になるが、皆さんは緊張したり興奮したりするとUNKOしたくなりませんか?そしてそれを我慢する快感、分かりませんか??そんな気持ちが当時の俺を支配していたのだ・・・って本気かよ。本気と書いてマジと読む。でも、それは本当の話。下痢しながらも、俺は幸せだった・・・。なんてな。 さて、来週は文化祭会期中のお話よ。 |