第308回
先週までの2週間にわたり、ニコンとコニカミノルタがカメラ事業を大幅に縮小&譲渡という話を書いてきた。一般紙では単発的な話題として取り上げられたにすぎないが、まだまだカメラ好きの間では波紋を広げていることだろう。100年もカメラを作ってきたメーカーがこんなことになるのである。われらが川越東高校写真部が20年の歴史をもって潰れるのも、これでは無理もないかという気にさせられる。カメラを欲しがり、そして使いたがる若者がこうも減ってはカメラ屋稼業もあがったり、といったところだろうか。もう何度も蒸し返してきた話なので今日はこのくらいにしておくが、ハッキリと時代が変わったことを思い知らされる今日この頃である。 時代が変わった、といえば、俺にとってはこの話題も避けて通ることができない。「Apple 、MacintoshにIntel社製CPUを搭載」の件である。昨年この件が発表されたときにも俺はこのコーナーで苦言を呈したが、ついに先日、その実機が発売されたのだ。「iMac」と「MacBook Pro」―「iMac」はともかく、もうとてつもなくクールでエキサイティングなネーミングを期待していた俺にとって、この「MacBook Pro」という名前はいささか腰砕けであった。従来の「PowerBook」という名称は、何も「PowerPC(Appleがこの10年以上にわたって採用してきたIBM/モトローラ社製のMPUである)」の名前にちなんだものではなかった。1991年に、モトローラのMC68000(あの「X68000」に搭載されていたMPUである)を搭載した「PowerBook 100」以来の由緒あるネーミングなのである。当時のAppleが、どういう見地からこの非力なマシンに「Power」の名称を与えたかは寡聞にして知らない。しかし、パワー―この勇ましい名前に惹かれた人々はかなり多かっただろう。「Mac」に「Mac」と名付けて何が悪い、という声も確かに聞こえてくる。確かにそれも正論だ。だがやはり、Appleのハイエンドノートは「PowerBook」であり続けて欲しいと思う人々もまた多いに違いないのだ。 また、Appleは今回のIntelMacリリースにあたり、その筐体デザインを従来の同クラスのものからほとんど変更していない。これもまた突っ込みたいポイントである。すでにどこかに書いたかも知れないが、俺は7年ほど前(?)、初のG3搭載機・「PowerMacintosh G3 DT233」を購入した。華々しくデビューし、インテルCPU(Pentium 2)との比較広告が物議を醸したあのマシンの筐体は従来のPowerMac7XXX系のものとまったく同一で、エンブレムでしかその違いを認識できないようなシロモノだった。いわゆるベージュ色のMacである。それはそれで気に入って使っていたのだが、そのマシンが次の代からいきなり「ポリタンク(青白G3)」になった時にはもう悔しさを通り越して笑いが止まらなかった。似たような値段を払っているにもかかわらず、ほんの半年ほどでまったく斬新なデザインを身にまとった青白G3。今見ればずいぶん懐かしいと思えるものだが、当時は非常にあこがれたものだった。また、G3をはじめて搭載したPowerBookも同じ調子で、直前の最高級モデルだった「PowerBook 3400」とまったく同じ筐体でデビューしている。 Mac専門誌の中には、これらの措置が「一般ユーザーに『MacはMacのままなのだ』という点をアピールする意味がある」としている記事もある。マニアやプロフェッショナルユーザーにとっても、違和感を与えずにスムーズに移行できる利点もあるだろう。しかし、デザインにこだわるアップルがこの大変革にあたってデザインを放置することはあり得ないと考える。おそらく今夏〜今秋には、デスクトップ機も含めて大々的にデザインを変更してくるだろう。ここがまたAppleの初物を買う怖さなのだ。 しかし、68XXX系MPUからPowerPCへの移行にあたっても現在起きているようなアレルギー反応はあったのだ。従来のソフトや周辺機器が使えなくなる恐怖、そして両方のアーキテクチャが市場に混在する悩み……。当時のAppleはそれをエミュレーターによって解決し、ソフトの供給側には両方のMPUに対応するコードをワンパックにした「FatBinary」形式での出荷を求めてきた。それによってユーザーは、実行スピードの差こそあれほとんどのソフトを違和感なく使うことができていた。翻ってみるに、現在のAppleは10年前のそれとまったく同じことをしようとしている。RISC CPUからCISC CPUへ、64bitのG5から32bitのIntel Core Duoへという「後退」はみられるが、「Rosetta」というエミュレーション環境を実装し、「FatBinary」と同じ仕組みとして「UniversalBinary」を登場させた。先日某ソフマップでIntel iMacを触ってみたが、純正のソフトを使っている限りは悔しいくらい(というよりも黙って出されたら見分けがつかない)自然な動きを見せていた。今はたしかに嵐が起きているのかもしれないが、そのうち誰もが違和感なくIntelMacを使う時代がやってくるだろう。これがAppleが求めてきたコストの削減と、低消費電力なマシンの出現につながることを願ってやまない。時代はまったく変わってしまったが、「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」人間の反応に昔と大差はないのである。 |