第306回
(※お詫び 本文中、「F100」は「FM10」と読み替えていただくようお願いいたします。) さてもデジタルカメラのお話である。開始以来7年目を迎えようとしている本コラムは昨今のデジカメの発達と軌を一にしてきたわけだが、先日の「ニコン、銀塩カメラから撤退」という発表には驚きを禁じ得なかった。あのニコンが「F6」「F100」を残し、すべての銀塩カメラから撤退するというのである(俺は「F5」がまだカタログモデルであったことをそれで知った。通の方々にとっては当然だったろうが、半可通の俺にとっては「6」と「5」が併売されていることが意外だったのである)。本コラム開始当時、誰がそんなことを予想できただろうか。誰もがあの派手なモータードライブを装着した「F3」に憧れ、中古でも「F4」を持っていれば大いにイバリが効いたあの時代。何度も書いているが、カシオの「QV-10」に触れ、そしてその画像をインクジェットプリンターで出力しては萎えていた時代がほんの少し前まであったのである。振り返るにはまだ早すぎるが、やはり隔世の感を禁じ得ない。 当然、かつての好事家を巻き込んできた「AF派、MF派」という議論もとうの昔に去ってしまった。多くの銀塩カメラが消えゆく現在、今さら言うほどのことでもない。ライカMマウントのデジカメなどもあるにはあるわけだが、今からMFのデジタルカメラなどが出たらとんだお笑い草であろう(大中判サイズは除く)。はじめて触れたカメラがデジタルだったという人々も増えている昨今、一般的には「レンズは自分で回るもの」「ピントは適当に合うもの」というのが常識だ。ニコンのカメラボディーも惜しいが、MF時代から継承されてきた多くのレンズ群の行方もまた気になるところである。数々の個性的なレンズが失われてゆくのであれば、それはたいへん残念なことだ(とくにニコン党というわけではないけれど)。ニコンの商品は市場に広く存在し、中古市場にも潤沢にあるだろうからしばらく大丈夫だとは思うのだが……。 ところで、自分が愛用して止まない「京セラ」などは、とっくにカメラ分野全体から撤退してしまっている。おかげで旧来のユーザーはいつ起きるかもしれないパーツ供給の停止に怯える日々だ。まがりなりにも俺は仕事で「CONTAX ST」を使っている。プロの仕事としてこんな古いカメラを使うのは大いに問題アリなのだが、専業カメラマンではない現状からすれば新たな投資は莫迦らしく、壊れるまで添い遂げるしかないと思っている。しかも買い換えにあたっては自然にデジタルという選択肢が出るこの時代、こうした古き良きカメラを使い続けるのもひとつのありかたではないかと考えている。この京セラの場合、カメラから撤退するにあたっての社会的責任はニコンよりも低かっただろう(もともとはヤシカという会社から買い取ったブランドなのだし)。ほぼ唯一ともいえる「カールツァイスレンズが使える35mm判一眼レフカメラ」というアドバンテージはあったにせよ、ニコン製品ほどの普及は見せていないからだ。しかしコアなファンを多く抱えるこのブランドの撤退も、たしかに業界を揺るがしたのだった。 写真とあまり関わりの深くない皆様におすすめしたいことがある。政治家や芸能人の記者会見をめぐる「音」をよく聞いてみていただきたいのだ。彼らを取り囲む取材陣は当然カメラを手にしているのであるが、デジカメの普及はこの光景をすっかり変えてしまっている。どなたにもお分かりのことと思うが、従来のカメラにはフィルムが必需品であった。そこでは1コマ撮影するたびにモーターによって巻き上げ操作が行われるのだが、デジカメはこの「巻き上げ」という操作を必要としないため、カメラ自体の音が非常に静かになっている。数年前まではモーターの「ウィーン」という音が鳴り響いていた記者会見場が、現在では「パタパタ」という乾いた音が鳴りひびくだけとなっているのだ。俺はこの乾いた音を聞くたびに、ひとつの時代が過ぎ去ったことを思い知らされる。直接聞き比べることは難しいと思うが、ニュースなどで昔の映像が流れた際にはぜひ思い出していただきたい。フィルムという刹那的なメディアの終焉が、またすこし近づいている。 |