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恍惚コラム...

第305回

 毎年冬になるたびに寒い寒いと言い続けてきた俺だが、この冬はとくに寒い。近所のどぶ川は永久凍土になっているし、ウチの風呂場は給湯温度を最高にしてもまだぬるい。そのうち窓枠が凍ったり水道が出なくなったりするのではないかと思わせるほどの寒さではないか。いつも大げさなことを言う俺だが、この現実を前にすれば皆様にも納得していただけることと思う。

 水道が凍る、といえばこんなことを思い出す。小学生だった冬のある朝。どこまでも続くかのように見える、冷え冷えとした廊下の片隅。俺たちは休み時間に水道が凍っていることに気づいたのだった。寒ければ何でも凍るのが道理なのだが、そこは小学生のピュアな心。皆が目を輝かせて蛇口に集まってくる。で、凍っていることは分かり切っているはずなのに、すべての蛇口を開いてみなければ気がすまない子ども心。「ここも出ない!」「そっちも出ない?」かくして開きっぱなしの蛇口が並んだ流し台。結果はもうお分かりだろう。朝が昼になり……気温の上昇とともに解凍された蛇口からは水が大噴出。水浸しになった廊下を見て教員たちが奔走したことはいうまでもないが、首謀者が誰かは明らかにならなかったのでお咎めは免れたのである。

 また、そんな時期でも平気で外に出されるのが小学生の憂さであった。今にして思えばあの寒風の中を半ズボンで外出するのは狂気の沙汰としか思えない。で、外に出てみれば太腿に当たるドッジボール。ナマの臑に当たる縄跳び。寒さに張りつめた皮膚を襲うこの2大刺激物は今も昔も子どもたちの敵なのではないか。とくに縄跳びは悪質だと思うのが如何だろうか。

 だが、昨今の小学生は実に暖かそうなジャージやハーフパンツ(膝の下まで裾が行っては、半ズボンとは呼べますまい)姿を与えられている。時代は確実に安楽な方向に向かっているのだ。先述の2大刺激物に苛まれた子ども時代を過ごした人々が大人になり、子どもたち「本来の希望」(あえて括弧書きにする)を叶えてやっているのだろう。それの是非についてはさておくとしても。

 で、話は現在に戻る。ここで突然だが、最近の俺はなぜかこの寒さを嘆く気がしないのだ。この冬は俺にとって、ほとんど「完全な」デスクワークに就いて以来2度目の冬。以前勤めてきた仕事に比べて外に出る機会が減ったからには違いない。朝家を出てから会社に着くまで、屋外で寒風に吹かれているのは延べ20分程度だから、いくら寒くとも実感が湧かないのは当然である。思えばカメラマン助手時代も掃除屋時代も寒さには泣かされてきたものだ。とくに掃除には水がつきものである。真冬の雑巾絞りは掃除屋の業を感じさせるのに十分すぎる仕打ちであった。「ゴム手袋をすればいいだろう」という意見もおありだろうが、さまざまな作業を並行して進めなければならない現場ではつい億劫になってしまうものなのだ。

 また、見逃せないのはこの仕事に就いて以来体重が6キロ以上増えたことである。件のカメラマン助手時代には貧困と激務のために、体脂肪率8%の「ひとり飢饉」状態だった俺も、ここにきてようやく人並みの生活とデスクワークにありつくことができた。それはそれでめでたいことなのだが、昨年ある電気店で体脂肪率測定器を試してみたら……とてもここに書く気がしないような数値が出てしまったのである。8%でも2X%でも健康状態の違いを自覚することはまったくないのだが、もしかするとこの冬を快適に過ごせているのはこの脂肪のおかげなのかもしれない。これはこれで良いのだろうか。それとも、もうすこしストイックに寒さを感じられる体に戻すべきなのだろうか。寒さに応じて自分の体を変えることを覚えた、30の冬のお話である。


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