第303回
毎年、メリークリ**ス! と言わずにおれない俺(**の中身についてはご想像にお任せする)。この時期になると、どうして日本人がキリストの誕生日を盛大に祝わなければならないのかと真剣に考えてしまうわけなのだが、俺がこの少ない脳みそで考えても世間は何も変わらない。結果、街には浮かれたカップルと似非イルミネーションが跋扈するわけだ。 勤め先では、クリ**スに何を贈るかの話題で持ちきり。運悪くそうした現場に居合わせた俺も、一応人並みに何か答えてやろうとするのだが、実際何も考えていないから答えの出るはずもない。クリ**スに物を贈ったり贈られたりしなくなって、もう何年が経っただろうか(ご存じない方のために付け加えるが、俺は結婚8年目、子供無しのサラリーマンである)。衆生は、目の前にあるクリ**スで満足できないのだろうか。あるいは、これはクリ**スを目の前に引き寄せるための儀式なのだろうか。 話がどうも下ネタになりそうなので、年末らしいことを書き出すことにする。師走は毎年の事ながら、一年が過ぎるのはあっという間のことである。気づけば今回で今年の更新も最後。読者の皆様はこの一年をどのように過ごされただろうか。俺は今年も可も不可もない一年を過ごさせていただいた。このコラムを通読いただいている皆様にとって忘れられないのは「川越東高校写真部」の一件だろうが、それも含めて可も不可もない一年。こうして年の瀬を迎えられるだけでも感謝しなければならないのである。 1月。入社8ヶ月目の俺は、気張って社員全員に年賀状を出すも元旦に3枚しか届かずに愕然。前年末に配られた社員名簿の意味を見失うも、続々と返ってきた返信に胸をなで下ろす。あらためて年賀状の大切さを知った年明けであった。 2月。診療報酬は小改正。にもかかわらず指南本は毎年出さねばならないので、月末あたりから毎晩タクシー状態に。毎年これをやると思うと複雑な気持ちに。 3月。2月の余波を受け、すっかりグロッキー状態。会議室で吸うタバコのうまさ。 4月。そろそろ川越東高校写真部の行く末に火がついてきた頃。ビラまきやポスター作成に何日を費やしたことか。何度も部室を訪れては感傷にふける日々。新入部員の入部希望票に希望を託すも、実際の入部者がいなかったことは忘れようにも忘れられない。 5月。14日、生徒総会にて川越東高校写真部の廃部が決定。OB同士が熱い議論を繰り広げたのもこの頃だった。現在に至るまで一部有志がさまざまな案を練ってはいるが、抜本的な解決に至っていないのはご存じのとおり。 6月。突然の下命により、ラスベガスに3泊5日。初の海外1人旅でテンパりつつも、何とか帰国。だだっ広さと食い物の不味さしか印象に残らないアメリカで、俺はひたすら学会の写真を撮りまくった。会社への土産は何と、「LAS VEGAS」と大書されたチョコ。日本の温泉街と発想が変わらないところが憎いヤツ。カジノでは20ドル浪費。 7月。ベガスの興奮もさめやらぬ中、ボーナスでPowerBookを購入。それに浮かれていたら、今度は社員旅行で沖縄へ。コラムに書いて話題騒然となった例のゲームに2日ほど凹む。 8月。今年の夏はことさら暑かったが、コナカの「軽涼スーツ」すら買えない俺は「ホットビズ」を推進。会社の人々がつぎつぎに半袖ワイシャツを着用する中、俺はホットビズ。ウォームビズはすでに超えた。 9月。翔鷺祭をボイコット。 10月。ついに三十路を迎えた俺。定期券だけは何とか29歳をキープしていたかったのだが、自販機で「継続」したら自動的に年齢も更新されているのに驚愕。そんなお節介な機能が付いているなんて、知らなかった……。会社で同じ年齢の女性に三十路三十路と言って怒られたのもこの頃である。 11月。5日、川越東高校写真部部室・無血開城。8名のOBと1名の顧問が見守る中、さまざまなアイテムが倉庫にしまわれ、あるいはOBらのもとに預けられた。さまざまな思惑が交差するネット掲示板。顔の見えないコミュニケーションの難しさ。 12月。暑い夏が過ぎ、こんどはやたら寒い冬がやってきた。会社の忘年会で、「俺にジャンケンで勝ったら1万円やる」と言い出した社長。5名が選ばれて、次々に社長に挑んだのだが……。社長全勝。開いた口がふさがらず、こんな金運の強い人にかなうわけないわとこれまた凹む。 とまあ、こんなカンジの1年だったのである。これを書いているのは12月25日の午後7時。来週の更新はなんと元旦である。7年目になろうとしているが、元旦と更新がぶつかるのは初めてかもしれない……。 ともあれ、本年もご愛読ありがとうございました。それでは皆様、よいお年を……。 |