恍惚コラム...

第300回

 2003年2月、例の旅に出る直前に書いたのがこのコラムの200回目であった。初の長旅に対する決意(?)をしたためたその文章は、自分にとってもたいへん懐かしい。200回目という節目に日本を離れ、見知らぬ土地を旅することになったのは単なる偶然ではあったのだが、ともあれ何かの因縁を感じずにはいられない出来事だった。

 旅立って以降、俺は各国から月1回ペースでの更新を続け、13回目の更新とともに無事帰国することができた。すでに述べてきたことだが、一台のノートパソコンを片手に旅をし、ホームページを更新し続けることは実に得がたい経験であった。各国によって異なるネット事情。部屋から直接繋げることはまれで、その多くをネット屋へのパソコン持ち込み、あるいはノートパソコンで焼いたCD持ち込みに頼る状態は厳しかった。しかし、それだけに1回ごとの更新に賭ける熱意が高められたことも事実である。地元の方々の好奇の視線にさらされながらもネット屋を長時間占拠し、日本にいる皆さんに自分の現状を伝えたいと思ってきたあの頃。インターネットというのはやはりこうした使い道にこそ相応しいし、その有り難みを心から感じることのできた1年間だった。

 そして、帰国してからは職探しから新たな仕事のことに話題は移っていった。社会人になって以来3つ目の仕事をいかに選び、こなしていくか。思えば大学を出て以来ロクなキャリアを積んでこなかった俺のことである。予想通り苦戦はしたが、帰国後1か月にして何とか会社に潜り込むことに成功した。もともと、漠然と出版社に入ろうと思ってきた俺だったのだが、大学を出て以来6年目。形態はどうあれひとまず編集者っぽい仕事に就くことができたのもまた不思議な巡り合わせである。その後の仕事ぶりについても、俺は折に触れてお伝えしてきた。

 さらに、帰国後の話題としては川越東高校写真部をめぐる情勢も外せないところだ。この春先以来の本コラムはそのために捧げられてきたといっても過言ではないだろう。凋落が進む写真部を嘆き、ついには部員ゼロとなった状態を嘆き、廃部を嘆いては部室の接収に至るまで、俺はこのコラムを通じてさまざまに嘆いてきたわけだが、結果としては最悪の事態を迎えてしまった。少しでも同写真部にとってプラスとなるような世論の形成に努めてきたつもりだが、こればかりは致し方ないのだろうか。現在でもまだまだ総括するわけにはゆかないこの問題、根はまだまだ深いのである。

 このように、数え切れないほどさまざまな出来事が俺の上を通り過ぎていったこの3年間。まわりくどい話をしてしまったが、ともかく今回のこの更新をもって恍惚コラムは第300回なのである。毎週このページを開いてくださる数少ない読者の皆様、そしてサーチエンジンというご縁でやって来てくださる多くの皆様に改めてお礼を申し上げたい。普段は思ったことを適当に書きつづるこのコラムなのであるが、第100回、第200回、そしてこの第300回……という節目には何かそれらしいことを書かねばならないような気がして、毎度毎度頭を悩ませている。今回のこの文章を、皆様はどのように読まれるだろうか。

 ブログなるものが流行る昨今ではあるが、俺はあくまでホームページ上での発言にこだわってきた。過去にはホームページスペースの広さを競い合ってきた各プロバイダーであるが、最近ではすっかりブログ機能やメール機能に注力している印象がある。ホームページ独特の難解さ―HTMLやホームページ作成用ソフトの習得やFTPに対する理解の必要性―がホームページ作成ブームの灯を消してしまったかのように見えるが、やはり自分好みの装丁で、永続性のあるメッセージを伝えていくためにはこうしたホームページというスタイルが良いと思うのだ。こんな偉そうなことを言ってはいるが、実はブログを始めたら強迫的に毎日更新してしまいそうで怖いのが本音なのだが……。

 うまくすれば、第400回の恍惚コラムは今から100週間後、2007年の晩秋に登場する予定である。皆様にはそれまでの変わらぬご愛読をお願いいたすとともに、俺が倒れないように見守っていただければ幸いです。来週も土日出勤だし!アヒィ〜


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