第299回
町田市で女子高生が殺害された事件である。最近の男子高校生はやたらと簡単に人を殺したがるような印象を受けるが、それは果たして彼にのみ帰すべき問題なのだろうか。俺にはどうも、何事にも急ぎすぎる現代の風潮が見え隠れするような気がしてならない。 ストーカー、という言葉がなければ、あるいはこの事件は起こらずに済んだような気がするのである。この言葉がいつ頃から市民権を得たのかは寡聞にして知らないが、一人の異性を影ながら恋い慕う構図は有史以前からあったに違いない。通信手段の進化こそあれ、古代から男と女は胸に秘めた思いをちらつかせてはお互いにせめぎ合ってきた。成就するまでに数年かかるような恋もあったろう。また、封建的な社会にあってはどうしても叶わない恋があったのはご想像のとおりだ。陰に陽に、積年にわたって想いを暖めつづける。そして、機を見ては幾度もほのめかしてみる―そもそも、こうした行動様式こそ日本人の“美徳”といわれる種類のものではなかったか。 しかし現在、ストーカーという言葉がこうした“陰性の恋愛感情”をすべて呑み込み、否定してしまっている。少し遠目に見ていればストーカー、家の周りをぐるぐる回ればストーカー、あてどのない手紙を書いてもストーカーだ。ストーカーという言葉にどう考えてもプラスの意味はないから、人は何とかしてこの状況から脱却しようとする。 つまり、自分の気持ちも熟さないまま、性急に答えを欲しがる現象が起きているのだ。誰かを好きになったらすぐに結果を出さねばならない、ストレスフルな社会の到来。片思いが長く続けば、それだけでストーカー。私見であるが、最近の若者には恐らく「片思いをしている人=ストーカー」という認識もあるのではなかろうか。 件の事件。本当にその女性を愛していたのならば、あのように顔面をめった切りにすることもなかっただろう。俺はむしろ、この犯人は自分の思考を混乱させる彼女という存在をいっそのこと消したいと思ったのではないかと見る。自分がストーカー的な存在になってしまった原因である女性に対する殺意―「自分の気持ちも熟さないまま」と書いたが、まさにその類ではないだろうか。15歳か16歳の男子高校生に彼女を娶るような覚悟があったとは思えないし、ただ何となく気になっていた、という程度のように感じる。そもそも、なかなか成就できないのが初恋というものである。ご存知のとおり、彼女は雑誌のモデルを務めたほどの美貌の持ち主だった。彼女について気にならない男はむしろ少なかったろう。思春期にある少年にとっては、周りの雰囲気でついつい好みでもない女性が気になってしまうこともあるわけで、これは本当の恋愛感情が引き起こした事件ではないのだと思う。折しも女性と交際してみたい年頃だ。できれば理想は高く……と思ったが、引く手あまたの彼女にリーチできるでもなし。時間がかかればストーカー扱いされる世の中では、どうしても答えを迫らなければならなかった……。 もちろん、男子高校生が女子高校生に憧れるのは当然すぎるほど当然のことで、今この瞬間にも日本のどこかで似たような憧憬が生まれているに違いない。どうか、そうした気持ちをストーキングと呼ぶことなく育むことのできる社会であってほしい。相思相愛であることを確かめるには、何年かけても十分とはいえないのだ。性急に過ぎる恋愛、そして性急に過ぎるセックスに走らせる情報を急に遮断することは難しいだろうが、ならばせめて昨今流行りの「スローライフ」の思想を若者の恋愛に導入することはできないだろうか。日本人の寿命はまだまだ延びているのだから、何も生き急ぐ必要はないのである。 |