恍惚コラム...

第297回

 既報のとおり、川越東高校写真部の旧部室はこの11月5日(土)をもって正式に生徒会室として譲渡された。後日入ってきた情報によればすでに生徒会側の荷物も搬入され、快適な使い心地をもたらしているという。冷蔵庫やポットの利用価値もすでに見いだされているようで、あの部屋の機密性が濫用されないよう祈るばかりだ(まあ、濫用し尽くしてきたわれわれが言う筋合いでもないのだが)。

 「排泄さえ厭わなければ」暮らすことさえ可能なあの部屋が、若者たちに大きな可能性をもたらすことは間違いない。だが、その独立性は時に仇となるだろう。目の前にいくらでも自分好みのアイテムを並べられるあの部屋が、本来の会務に支障をきたさないとは言えないのだ。もし、各種の部活動を統べくくる生徒会が偏った趣味に走ってしまえば大きな過ちを生むであろう。俺がここでどのような趣味を規定しているのかについてはあえて書かないが、ともあれこれ以上文化部の数を減らすような働きだけはしないようお願いしたい。さもなければ、この一月以上にわたってOBが味わってきた焦燥感が報われない。

 某巨大匿名掲示板群ではご多分に漏れず川越東高校のスレッドも立っており、そこではさまざまな部活動の新設を求める声が上がってきた。軽音楽部や模型部の話が盛り上がってきたものだが、実際には未だかつて誰も、校内で声を上げたものはいなかったに違いない。

 写真部は、広報活動とニーズの不足によって潰えた。だが、新たな文化部の創設を求める声は確かにあるのである。こうした潜在的なニーズを取り上げ、より暮らしやすい学校生活を実現することも生徒会に課せられたひとつの責務ではなかろうか。写真部の件はひとまず措いて、これからの文化部のあり方をぜひ考えていただきたい。ある種の文化部がアニメ研究部や模型部の代用とされるようではふさわしくないし、何よりこれ以上の文化部の衰退は「文武両道」の校是にもとる。現在、生徒会規約の中には新部創設を可能にする条項はないようだが、11月5日の選挙によって選出された生徒会新執行部にはこうした部分の改正も含めた改革に取りかかっていただきたいと思う。十年一日のごとくバッグの自由化やポロシャツの解禁をいうのではなく、学校のイメージ全体、暮らしやすさ主体の改革をお願いしたい。欲しい部活は欲しい、要らない部活は要らないと誰もが公言でき、それによって謂れなき差別を受けない校風こそがこれからは求められるのではないだろうか。

 どうあがいても(留年でもすれば別だが)3年間しかいられないのが高校という場所である。大所高所に立った改革が難しいのはいうまでもない。しかし、たかが人生の3年ではないか。大学に潜り込んでしまえば周りは全て他人になるし、あの高校を出て同窓会を開いた輩の話は一度も聞いたことがない。今思いついたことをすぐ実行できる―これこそが青春の特権であり醍醐味なのだから、畏れることは何もないのだ。

 あらためて一つの時代が過ぎ去ったことを感じる昨今であるが、われわれOBはただその感慨に耽るばかりではいけない。多くの段ボール箱に詰められたアイテムと、OB相互の目に見えない紐帯は今後とも続くことである。俺の部屋にも封を開けていない日誌類が置いてある。来週は、これらのアイテムの行く末について思いを馳せてみたい。


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