第296回
10月29日(土)から30日(日)にかけ、第19回しりとり専用掲示板オフ会が開催された。あいにくの天気ではあったが、つっちー氏をはじめべんしゃあ氏の参加のもと、熱い2日間を過ごすことができた。はじめての一泊オフ会、大分以前から告知していたにもかかわらず参加人数が伸び悩んでしまったのは痛かったが、何事も始めてみなければ分からないものである。東山温泉というひなびた温泉街の最中でもエクスタシー魂は炸裂したのである。 29日。午前9時20分に大宮駅にてつっちー氏と待ち合わせをした俺。そういえば、所謂東北地方には2回しか行ったことのない俺のこと。しかもマニュアル類はまったく読まない性分の俺はつっちー様謹製のしおりもよくよく読まず、勝手な見当で福島ゆきの切符を手にしてその場に現れたのだ。あわてて郡山ゆきの切符を買い直し、つっちー様にはご迷惑をおかけしてしまった。この場をお借りしてお詫び申し上げたい……。 そんなこんなで一路郡山に向かった二人連れ。いかな郡山といえど、新幹線で行けば一時間弱の道のりである。俺にとっては初乗車となった2階建て新幹線の1階の眺めの悪さには辟易したものの、つっちー様との世間話は相変わらず面白い。折しも自分の卒園した幼稚園の園長が買春行為で捕まった直後だったので、話題は自然とそちら方面に。前の席に座っていた男性が読んでいたスポーツ新聞にはその件に関する見出しがセンセーショナルに躍っており、何ともこの会らしい(?)幕開けとなった。 果たして、べんしゃあ氏と郡山駅にて再会。某企業に勤める彼は現在岩手県某市在住。そもそもこの会がなぜ東北を目指したのかといえば、彼に会うことが主目的である。ひさかたぶりの再会。社会人4か月目を迎えた彼の表情はいちだんと引き締まったものとなっており、ああ、さすが某企業ほどの規模になると苦労が絶えないのだなぁ……という気がしてしまった。まあ、●●に●り放題な点だけは非常に羨ましいんだが……(ここまで伏せ字にしないと危ないよな)。 郡山から会津若松までは磐越線(だっけ?)である。3両編成の気動車なぞを見るのは往年の川越線以来だ。不肖若林、小学生時代には「鉄道クラブ」なるものに入ってはいたものの電車に関する蘊蓄はまったくないのだ。車内ではつっちー氏がしきりに電車に関する、俺にしてみればトリビア級の話題をべんしゃあ氏に振っている。それらの会話が何の滞りもなく通じているさまを見ていると、やはり鉄道道(てつどうみち)は趣味の王道なのだなぁ、と再確認した次第。俺の方はといえばもっぱらべんしゃあ氏が暮らす寮の話題に興味津々。田舎町で、寮母さんが作る食事を3食食べながらの暮らし。赴任直後の空室にはやたらとパンツがうち捨てられ(もちろん男子寮の話だ)、陰毛がいたるところに散らばっていたのだという。その部屋には現在でもすきま風が吹きすさび、個人用の電話回線もないためネット接続は激遅のAirHなのだという。やっと某企業に入ったというのに何という仕打ちなのだろうか。俺は感心するやら何やら、どうにも声のかけようがなかったのだが……。 郡山から約一時間、七日町駅(確か)で下車して市内観光に入る。鶴ヶ城公園や飯盛山、そして近藤勇の墓など、ヒストリカルなサイトシーイングスポットが満載の会津若松市内なのであるが、俺たちはなぜか到着後すぐに「クラシックカメラ博物館」に向かった。なぜ会津。なぜここで。クラシックカメラを見る必要があるのだろうか? そしてなぜここにそんな博物館が建ってしまったのだろうか? 市内の観光マップを見ながら俺たちは困惑した。しかし一応、これは写真関係を標榜するサイトのオフ会である。行っておかねばなるまい。 で、行ってみた。その博物館は酒蔵のなかの一部を活用したものとなっており、入場料は300円ほど。到着する直前までショボイ予感でいっぱいだった俺なのだが、入ってみるとそれが杞憂であったことにすぐ気づいた。たしかに個人蔵の小さなコレクションなのかもしれないが、古今東西のカメラ―プレスカメラからスプリングカメラ、2眼レフにライカとそのレプリカなど―が、各時代別に数百台並んでいるのには驚いた。ツボをついた解説文と、今では見られなくなってしまったフォーマットのカメラ(4×4判やディスク、110版など)の展示が充実しており、この場所でなければ300円などで公開しておくのは勿体ないほどのコレクションなのであった。これから会津に行かれる皆様にはぜひおすすめしておく。 その後は順当に鶴ヶ城を見学。昭和40年頃に再建された城なのだそうだが、まあ黙っていれば(?)分からないのである。天守閣に至るまでのフロアはすべて博物館となっており、雨の土曜だというのに混雑しまくりなのであった。流行ってるのか? 鶴ヶ城。白虎隊の大河ドラマもあったらしいが、その影響なのだろうか。 さて、鶴ヶ城見学を終えてもまだ宿に向かうのは早すぎた。そこでわれわれが次に向かったのが「ネパール博物館」。クラシックカメラといいネパールといい、わざと名所を外すのがこの会のポイント(?)なのである。クラシックカメラが案外まともだったのに気を良くし、勇んで行ってみたのだが……これはもう本当に趣味の領域だわ。古い屋敷の1階を料理屋に改造した店の屋根裏部屋がその“博物館”にされていたのだが、並ぶ品々の有り難みはほとんど伝わってこないものばかり。それぞれの神様の由来や蘊蓄はたしかに記されていたのだが、その展示物自体ががいつ頃の年代のもので、どこからやってきたのかは一切明らかにされていなかったのだ。これで博物館を騙るのは如何なものだろう。ただ単にネパール好きが昂じて土産物を展示するようになっただけにしか見えないのだが……ともあれ、話のネタには悪くない場所である。 その「会津のネパール」から徒歩15分ほどで、われわれは宿舎であるところの「東山ハイマートホテル」に到着した。ひなびた温泉街の入り口に位置するこの宿は、どうやらスタッフも約2名。築30年は経っていようかと思しき風格は、まさに日本の温泉旅館である。宿の前には堂々と「土屋様」の文字が躍っており、いやがうえでも期待感が増してくる。 60代も後半といえそうな仲居さんに導かれて客室へ。内風呂には「使用できません」の張り紙。窓の下には渓流が広がっていたのだが、もうすっかり暗くなっていたのでよく見えなかった。俺はすぐに冷蔵庫の中身をチェックしたのだが、あまりの値段の高さに買い出しに行くこととなった。 買い出し、と書いた。だが、昼なお暗い東山温泉郷のことである。コンビニなどはもちろんなく、スーパーすら見あたらない。そこで俺たちは何だかアンニュイな40代女性が店番をする酒屋にしけ込み、今夜の酒を仕入れることになった。木造のその店では冷蔵庫の明かりだけが妙に明るく、店の奥に置かれたストーブが冬の寒さをしのばせた。俺たちは各々好きなものを選んでカゴに入れ、その女性に差し出したのだが、そこで一言「旅館持ち込み?」 この女性、どうやらこうした観光客の考えることはお見通しのようだった。彼女はひとつひとつのアイテムを新聞紙にくるんでくれ、われわれは無事にそれらを部屋まで持ち込むことができたのである。 仕入れを終え、しばし町内を散策。………………本当に何もないところだ。温泉の質は良いのだろうが、町中には至る所にシャッターの降りた店が並び、なかには廃業してから相当の年月が経ったであろう旅館もある。唯一派手なネオンを輝かせていたのはストリップ劇場だったのだが、もうこれでは入る気もしない。射的の店の明かりも見えたのだが、わざわざ入る気を起こさせるものではない。そこで一行はさっさと部屋に戻り、温泉と晩飯を堪能することにしたのだ。 さて、いよいよ温泉へ。昨今のニセ温泉騒ぎを受け、この宿では「源泉かけ流し」をしきりにアピールしていた。硫黄泉ではないので独特の匂いはしないものの、湯口にはたしかに湯の花が固着しており、まあ温泉なのだろうな(素人なのでよく分からないのだが)という雰囲気を高めている。湯の質はともあれ、こうしてだだっ広い風呂場に他人と入るのはどれくらいぶりのことだろう。前の勤め先で行かされた下田温泉以来だろうから、優に3年ぶりくらいだろうか。トニックシャンプーで髪を洗い、湯船へ。ここまでの疲れが吹き飛んだ。 あとは酒盛りであるが、酒を隠し持ってきたのでどうにも後ろめたい気持ちでのスタートである。まあ100%持ち込みでは申し訳ないので「最初の何本かは宿のを飲もうか……」と示し合わせた俺たちだったのだが、それに答えて仲居さん曰く「冷蔵庫のを飲んでください。 足りなかったらお持ちしますので……」ときた。ぬう。そんなものを飲むくらいなら、こちらが持ち込んだものを飲んでやるぜ! 果たして俺たちは缶ビールや缶チューハイを密かに隠し飲むという、何とも切ない晩を過ごしたのである。何しろ、飲んでいる最中に仲居さんが下げに来たらアウトなのである。根っからの小心者なので、申し訳ない…… そんな晩飯を食べ終わり、時間はまだ夜の8時前である。俺たちは普通の週末のようにテレビを見たり、他愛のない話をして過ごした。こればかりは一般のオフ会では楽しめないものである。普通の飲み屋で過ごす濃密な時間もよいものだが、こうして一夜をともにすればまた違った面が見えてくる。夜10時。まだ寝るのは早いとて主人オススメの居酒屋に行った俺たち。馬刺しが安くてうまい。餃子も名物らしく、しっかりニンニクの入ったものを俺は久しぶりに食べた。で、3人で1杯ずつ飲んで約2千円……。安すぎる。こんなので商売やっていけるのだろうか? その後は枕投げなどすることなく、素直に就寝。 ともあれ、初の試みとなった一泊オフである。つっちー様の綿密な計画ぶりに感謝申し上げるとともに、わざわざ埼玉と当地の中間地点である福島まで出てきて下さったべんしゃあ様に感謝申し上げたい。次回(なんと第20回!)のオフ会はとりあえず都内で挙行する予定であるが、またいずれこうした企画がめぐってくることは必至である。その節は、ぜひ皆様にもご参加を御願いしたいのである。 さて、前振り(!?)が10枚以上にも及んでしまったが、昨日5日(土)は写真部部室の無血開城がなされた。その話はまた来週。写真はこちらにて。 |